tokyokidの書評・論評・日記

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書評・英米法概説

tokyokid2007-06-10

書評・★英米法概説(田中和夫著)有斐閣

【あらすじ】
 本書は題名通り「英米法」の概説書である。評者が住むアメリカは当然「英米法」の国であり、日本人である評者の「日本の法律」は、明治維新以来ずっと「大陸法」できているはずだ(このことについて最近日本で妙な動きがあるが、それは後述する)。評者はアメリカにきて、経営者の真似事をしなければならない立場に追い込まれたときに、行動の最低限の基準になるであろうところの「法律」について知りたいと思った。そこで英米法(と大陸法)について比較参照した簡単な解説本というかノウハウ本というか、法律にはまったく素人の評者でも読めばわかるように、両者の違いを簡単かつ明瞭に解説している本を探していたが、やっとたどり着いたのが、本書であった。本書について、評者なりの不満があるが、これも後述する。
【読みどころ】
 本書の「はしがき」の冒頭で著者は「本書は、『英米法概説』と題するが、英米法の具体的内容を体系的に叙述したものではなく、英米法の特徴 ― 大陸法と比較しての特徴 ― を述べて、英米法とはどういう法であるかを概説したものである」と書いている。内容は以下の六章に分かれる。
第一章・大陸法英米
第二章・英米諸国の法
第三章・法の支配 ― 英米法の特徴の一
第四章・判例法主義 ― 英米法の特徴の二
第五章・陪審裁判 ― 英米法の特徴の三
第六章・コモン・ローと衡平法 ― 英米法の特徴の四
 なるほど、本書に書かれている内容だけから言えば、この本は確かに評者の要求にぴったりの本である。とくに第一章は、日本が外国の法律を摂取した歴史から始まって、大陸法英米法の対立点や、戦後急流の如く日本に流れ込んだアメリカ法の摂取などにも言及していて、まことに遺漏がない。またイギリス法とアメリカ法の違いも解説してあって、この点も高く評価できる。
【ひとこと】
 評者が法律に関して当時知っていたことのなかに、大陸法は明文法で、英米法は判例法である、というのがあった。(この認識が正しいか誤っているかについては、評者自身判断の基準を持たない。法律を勉強したことがないからである)。明文法というのは、法律に書いてあることが法律なのであり、書いてなければその件に関しての法律は存在しないのだ。元来日本の法曹関係者は、法律を相手にしているのだから、いわば「六法全書」が法律の基礎であるはずだ。だからこそ、日本では社会が変化して新しい現象が起こって既定の法律では律し切れなくなったときに、新しい法律を制定して(それまでに起こった事件は不問に付しつつ)現実に対応していくのであろう。それに対して判例法では、裁判手続きの基準が過去の判例なのである。本当かどうか知らないが、英国では憲法六法全書もない、と聞いている(朝日新聞国際衛星版二〇〇四年二月五日付・東大教授・岩井克人寄稿の「思潮21・英国の二つの法体系」記事による)。この短い新聞記事のなかにも英国では「過去の判例こそ法律であると考えられている」ことや「コモン・ローとエクイティ(衡平法)という異なった法体系がある」ことも書かれていて、その点では本書と変りない。要するに英米法(=判例法)は、ふたつの法体系のもとに運用されているところの、自己利益追求に便なる法律体系なのである。この点に関して評者のような素人にも容易に想像できることは、それでは英米法は、昔は英国の国王に有利な法律であったのであり、現代では米国の金持ちに有利な法律なのであろう、ということである。この英米法によって運用されている米国では、日本法人や日本人など外国勢が、アメリカ国内でアメリカ人(法人と個人を問わず)裁判を起こした場合に、外国人が不利になるのは目に見えている。ならばアメリカ人とは事を構えないのが外国人にとっては最良の選択であり、要するにおカネで決着をつけてしまうのが事実上有利な解決法であることが多いことであろう。じつはそれこそが昔の英国国王やいまのアメリカ金持ち連中の狙いであって、だからこそ日本企業を狙い撃ちにしたアメリカ企業からの提訴が多い事実もうなずける。日本では、かつて裁判に関連してものごとを解決するのは決して名誉ではない、という確固たる通念が存在した。だから日本人ないしは日本企業は、破格な和解金を払っても、アメリカでの係争を避けてきた。当然の帰結として、アメリカ側に大金をむしり取られることにもなった。これらの事実は、戦後の日本企業とアメリカ政府や企業との係争を検証してみれば、乃至は日米政府間交渉の恫喝にも似たアメリカ側の交渉態度をみれば(例としてコンピュータ・ソフトのトロン事件や、最近の狂牛病の恐れはないとして日本に強要されるアメリカ産牛肉の輸入制限緩和などがある)、一目瞭然なことである。もちろんこれからはそうはいかないのであって、不利な立場であることには変りはないとしても、日本人がアメリカ人に法律でも負けないように自助努力で理論武装することが肝要であることは論を俟たない。蛇足ながら、アメリカ国内の裁判史に残る「O・J・シンプソン事件」(成功した黒人の元フットボール選手が、白人の妻を殺害したのではないかと疑われた裁判で、腕利きの弁護側が、裁判の手続き上人種偏見のある検察官などの証拠は証拠になり得ないとして、《殺人の有無を論じる以前に》無罪を勝ち取った事件)や、「服部剛丈君事件」(留学生であった服部剛丈君が、ハロウィーン祭の仮装衣装のままなにかを教えてもらおうとして、手近の家の玄関で案内を乞うたところ、いきなりその家の男が銃を正面から発砲し、服部剛丈君を殺害してしまった事件。この裁判の陪審員は、この発砲者を無罪と評決した)などを見れば、アメリカの裁判の手続き上の不条理が、誰の目にも明らかであろう。現役のときの評者は、立場上英米法を適用される自社および自己の立場についての法律論の裏付けが欲しかったのである。
【それはさておき】
 以上の趣旨を法律書の出版元で知られる有斐閣に電話し、該社の出版物で素人が読める入門書がないかを問い合わせたわけだが、評者の応対に当ってくれた女性は本書を推薦したのであった。読んでみると、法律の基礎を知らない評者にはむずかしいことばかりで、いまだに分らないところが多い。自分の知識が足りない点を棚に上げてモノを言って申し訳のないことだが、もっと素人が寝転んで読んでもわかる英米法と大陸法を「簡単に」比較解説した本はないものか、あったらいいなあ、といまだに思っているのである。逆にいえば、法律の素養のある人が本書を読めば、得るところは多大であると思われる。作家の井上ひさし氏が折りに触れていう言葉だそうだが、法律関係者に言いたいことは、素人が難解な法律について「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」分るように書いてほしいということである。ついでに八つ当りをしてしまえば、同じことがコンピュータ業界についてもいえる。この業界でも、書いた人には分るのだろうが、読んだ素人には理解できない解説書や取扱説明書のたぐいが氾濫しているのだ。法律とコンピュータ両業界の人で、解説書を書く立場にある人は、かつてこの「書評」でも紹介した「黄河の水・烏山喜一著・角川文庫」を読んで、その極意を会得してもらいたいと思う。「むずかしいことをやさしく」書くベテランになれること請合いである。それにしても最近日本で、素人による陪審員制度が採用されるということは、どういうことだろうか。明文法なら、(過去の判例を参考にするにしても)裁判官、検察官、弁護士ともに法曹を職業としているブロの人たちのほうが、素人よりよほど正確な評決を下せることと、同じく素人である評者などは思うわけだが、そこにはまたなにか別の深謀遠慮が存在するのであろうか。□