tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

書評・檀流クッキング

tokyokid2006-08-31

書評・★檀流クッキング(檀一雄著)中公文庫

【あらすじ】
「火宅の人」「リツ子、その愛」「長恨歌」などで知られる作家の檀一雄は、食に関しても非常な好奇心と実行力を発揮したことで知られる。この本は、その檀一雄が昭和四四年(一九六九)からサンケイ新聞に連載した記事をもとにした、あくまでも素人向けの料理指南書だが、手軽な文庫本に変身してから四半世紀以上経ったいまでも、内容はちっとも古くなっていない。転勤シーズンのいま単身赴任を余儀なくされているサラリーマン諸兄姉のための、これは非常に心強い味方なのだ。
【読みどころ】
著者は「私のような、まったく素人の、料理の方法を公開して、いったい何になろうかと疑わしいが、しかし、また、素人の手ほどきほど、素人に通じやすいものはないだろうから、何かの役割りを、果たしているのかもわからない」という。でもまったくの素人であっても、この本を読めば、たちどころに迷わず料理を実践することができる。説明にあたって食材が何グラムだのさじ一杯だの、数量の指定がいっさいないのも助かる。そのうえ著者は「無いものは、無くてすませるに限る(インロウ漬け)」の哲学で全編を貫くから、読者は否応なく料理の現場の判断を自分でせざるを得ない。すべては自分で作って、味わって、納得して身体で覚え込むための仕掛けなのだ。
【ひとこと】
いざ市販の料理本によって料理を作ろうとすれば、材料がない、道具がない、やるべきことがわからない、ということで、結局その料理作りをあきらめてしまった経験は、誰にでもあるのではなかろうか。一流作家の手になるこの素人向け料理本には、随所にユーモアがちりばめてあり、読むだけでも楽しいが、実はひたすらに著者の経験と実績による家庭料理の作り方の誠実な指南書なのである。家庭の事情でこどものときから家族のための食卓の準備をしなければならなかった著者が、五十年以上にわたる材料の買出しからはじまる料理の経験の蓄積を、あたかも目の前で実演するような文章に書き上げて、われわれに示してくれるのである。私事で恐縮ながら、私が単身赴任するときは、必ずこの本を一冊携行して、毎日の料理をなるべく自分で作るように心掛けた。作り方の記述に戸惑うことはまったくなかったし、なんども作るうちに、調味料の配合なども自分の好みや体調に合うよう、ごく自然に加減するすべも覚えた。たとえば著者が作家の邱永漢氏から教わったという台湾おでん(バーソー)などは、いまでは完全にそらで覚えてしまって、いわば私の得意料理のひとつになった。
【それはさておき】
誰にとっても本として読んで楽しく、レシピとしても役立つクック・ブックというものは、そうザラにあるものではない。この一点で、この本は類書と本質的に異なる。一回分四百字詰め原稿用紙約四枚の原稿で成り立つこの料理本は、読者の理解度と選択肢を最大限に尊重しながら、春夏秋冬のメニューを全部で九二種類紹介している。女優の檀ふみさんは、こういうお父さんに育てられたのだな、という番外の楽しみもある。文末のいまは亡き映画評論家・萩昌弘の「解説」も秀逸だ。
(TVファン誌2002年6月号掲載原稿)