tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記190421・理屈に合わない裁判員裁判制度

日記190421・理屈に合わない裁判員裁判制度

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 日本に裁判員裁判制度なんてあってたまるか。これは司法当局の怠慢以外の何物でもなかろう。単にアメリカの圧力に屈して、日本では要りもしない裁判員制度を取り入れさせられただけだろう。

 私は民法の授業で覚えていることはいくつもない。その一つに「法律には大陸法英米法がある」ということだ。大陸法は別名・明文法とも言われ、法律はすべて文章で定められていなくてはならない、というもの。フランスおよびドイツの法律がこれに当る。フランスに範をとった日本の法律体系もこのグループに入る。英米法は別名・前例法と言われ、裁判は前例に従う。バカの一つ覚えで、これだけは覚えている。

 その後日本が大陸法から英米法国家に変ったのでなければ、どんな事件も法律によって裁かれなくてはならない。法律によって裁かれた裁判結果は前例として残って毎年発行される六法全書に記録され、以後の事件判定の基準となるから、あらためて人間がかかわって決めなくてはならない範囲は相当にせまい。これは法律に玄人の裁判官や、検事や、弁護士がかかわって結論を出すべきものだ。そこになんで素人が裁判に参加して意見を言う必要があるのか、まったく理由がないのだ。聞くところによると、アメリカの弁護士に日本で仕事をさせたいアメリカが、日本に圧力をかけて、裁判員裁判制度を導入させた、という噂がある。

 もしこれが事実とすれば、日本は外圧に屈して節を曲げたことになる。国家の主権をこんな僅かな官僚の判断に任せて変更していいものか、決めていいものか、私は非常に疑問に思う。□

(写真はネットから借用)

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日記190411・え、オブラート?

日記190411・え、オブラート?

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 いまの日本人は約四割しかオブラートを認識できないらしい。六割はオブラートを見たことも聞いたことも食べたこともないらしいのだ。これは昨年末のテレビ朝日のニュース番組で、街頭で実際に食べさせてアンケートを取っていた結果だ。なかには(ラッキョを与えられたサルよろしく)飴を包んだオブラートをわざわざ剥こうとして悪戦苦闘している妙齢のご婦人もあった。

 ボンタンアメはキャラメルと同じような大きさの粒の飴菓子で、一粒一粒がオブラートで包んである。年配の人なら覚えているだろうが、ふつうオブラートは薬局で売っている。用途は粉薬を包んで飲み込むための薄い紙状のものである。私の子供のころ、親は「オブラートはごはんを炊くときのねばねばと同じ成分でできているのだよ」と言って聞かせていたものだ。残念ながらほんとうの原料はなんだか知らない。もちろん苦い粉薬を舌に味あわせることなく飲み下してしまうためのものである。

 かく申す私も、もう半世紀以上もオブラートを単品で買ったことはない。しかし手近なところでは、駅のキヨスクやコンビニで売っている鹿児島県産飴菓子のボンタンアメを買ってくるといい。一粒一粒をオブラートで包んであるからである。

 それにしても世の移り変りは恐ろしい。昔は子供でも知っていたオブラートを、いまでは大の大人が知らないのだから。□

(写真はネットから借用)

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日記190401・伝統川柳協会の句集最優秀賞受賞

日記190401・伝統川柳協会の句集最優秀賞受賞

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2019年4月1日

 緊急のご報告です。昨年末「わたしの川柳・狂歌・都々逸選集」を上梓したことはご存じと思いますが、さっそく今年度の「伝統川柳協会の句集最優秀賞」に選出されましたのでお知らせ申し上げます。川柳のほかに狂歌と都々逸も加えたのが選考員諸氏の目を引いたようです。

 この句集はすでに関係先に配布してありますが、もし未達で、ご希望があれば急送いたします。住所など必要事項をお知らせください。

 まずは取り急ぎご報告まで。□

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日記190321・もじり英語

日記190321・もじり英語

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 かなり古典的だが面白い話が「お言葉ですが(4)猿の休暇・高島俊勇著・文春文庫」に載っていたのでご紹介する。高島センセイもこの著書で、昔の話として紹介されているのだが、いまどきの若い読者諸賢に通用するかどうか、はなはだ心もとないがあまりに面白いのでとにかくご紹介する。

 その一・ロンドン市内に West Kensington という地名があるが、現地に行った日本人がどう発音しても英国人の相手に伝わらない。そうしたら先に来ていた人が「上杉謙信殿」と発音すれば大丈夫通じるよ」と教えてくれたのでさっそく試したら見事通じた、という話。

 その二・同じくロンドンのレストランで、隣のテーブルの英国人がうまそうに鮭と胡瓜の酢漬けを食っていたのを見た日本人が自分も食べたいとウェイターに Salmon Cucumber と注文したが一向に通じない。あとでくだんの先輩日本人に訊いたら、それは「猿の休暇」と発音すれば通じるよ、と教えてくれた話。どちらもなるほど、だよね。話の具合から、どうも明治期の漱石ロンドン滞在以降の話らしい。

 おまけにもうひとつ。これは私も学生時代に聞いて知っていた話だが、さる大学教授が自分の科の入試に英文和訳の問題を出した。いわく Oh, my, much, much, care no thought. で、字句通り直訳した学生は落されて、正解は「お前待ち待ち蚊帳の外」だと。しゃれた大学教授も居たものだねえ。もっともこの方は既に人口に膾炙しているか。それにしても若い人で蚊帳を見たことがない人がいるかも。加えて蚊帳の外で背の君を待つなんて奥床しいオノコは居るのかなあ。なに、背の君ってなにかって? ま、いまの生れながらにしてバイリンガルみたいな君には関係のない話題だったね。□

(写真はネットから借用)

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日記190311・Red Rose Cafe

日記190311・Red Rose Cafe

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「もしもピアノが弾けたなら」のひそみにならって言うなら、私が喫茶店を開く機会があったとしたら、店名を「Red Rose Cafe」にしたい。もちろん店のシンボルは真紅のバラでテーマカラーは真っ赤なバラの色、そしてテーマ音楽は Andre Rieu の Red Rose Café だ。

 場所は日本離れしたしゃれた街がいい。関西の芦屋駅前などは最適だ。街のたたずまいがしゃれていて、人が多くなく少なくなく、絶えず流れていて、それで喧噪からは程遠い。住民はおしゃれで、着ているものもフランス映画で見る女性がそのまま歩いているような街。それが芦屋だ。大通りにある広くて天井の高い Red Rose Café の大きいガラス窓からは、乳母車を押す若いお母さんの歩く姿が見える。それがしゃれているのだ。雨の日だと、しゃれた傘をさして、しゃれたレインコートと短いブーツで身を固めた若い女性が通る。若い人ばかりではない。この街では初老のおばあさんでもなかなかなのだ。アメリカほどはケバケバしくなく、さりとて東京の巣鴨とはひとあじもふたあじも違うおばあさんがたくさん居てとてもいい。和風の美人で洋装も似合う人。そうだ。「お嬢さん放浪記」の犬養道子女史がいい。犬養道子は日本的美人のくせに洋装がよく似合う人だった。そういえば、彼女は神戸に住んでいたことがあったっけな。

 わたしの Red Rose Café ではうまいコーヒーを出す。もちろん afternoon tea も出す。サンドイッチがあるならコーラも要るだろう。同時にちょっとした腹押えの軽食も出す。ただし限られたメニューで、サンドイッチとスープくらいか。サンドイッチは本場のパンの耳が付いたヤツがいい。耳を切り落としたケチなサンドイッチは出さない。種類はハムアンドチーズとハム野菜、それにダグウッドサンドイッチとサブマリンサンドイッチは必須だな。全部耳付きだ。マヨネーズは最小限しか使わない。これにスープをつければ立派なランチになるだろう。

 あーあ。後悔先に立たずとはこのことだ。停年でサーマンから足を洗ったときにこの Red Rose Café を始めていればよかった。そうすれば充実した人生の終末を迎えられたかも知れない。一日にいちどは Andre Rieu の Red Rose Café を鳴らしながら、優雅に、ね。□

(写真はネットから借用。ところで音楽の Red Rose Café を聴くのは簡単だ。グーグルで Red Rose Café を検索する。Andre Rieu も出てくるからそれをクリックする。それだけで音楽が聴ける。便利になったものだ。それも面倒くさい方はこちらからどうぞ。)

https://www.youtube.com/watch?v=N9q1tMaTxCM

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日記190301・卒業、The Graduate

日記190301・卒業、The Graduate

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 今月は卒業の月だ。だがアメリカ映画の「卒業・The Graduate」はたしか1967年頃の封切り映画で、アン・バンクロフト主演、脇をダスティン・ホフマンキャサリン・ロスで固めたカラーのシネスコ映画であった。監督のマイク・ニコルズはこの作品でアカデミー監督賞をもらったし、ダスティン・ホフマンにとってはデビュー作であったはずだ。

 この映画はハリウッド映画のなかでも、それまでの正統派の劇映画の作品で、きちんとした話と筋の展開がある映画だったと言えよう。そう「駅馬車」や「哀愁」や「第三の男」や「カサブランカ」などと同系統の筋があって話があって、俳優は演技力を観客に見せつける、といったタイプの正統派映画の最後の見本だったのだ。このあとアメリカ映画は、良きにつけ悪しきにつけ「作り物の世界」にのめり込んでいく。

 話の筋は簡単で、ある金持ちの息子が大学を卒業して家に帰ってくる。本人は就職するか大学院に進むか決め兼ねて毎日をブラブラ過ごしている。父親が事業のパートナーシップを組んでいる親友の娘も大学に行っている。この二組の夫婦はそれぞれ自分の息子と娘が、ゆくゆくは結婚してくれることを望んでいる。ところが、こともあろうにパートナーの妻が大学卒業生の相手の息子にちょっかいを出してしまう。卒業生にとっては初めての相手だったが、やがて本気でその娘を愛してしまう。すったもんだの末にあの有名な結婚式の略奪シーンで映画は終る。私はこの映画を生れて初めてアメリカに渡った1967年に東海岸ロードアイランドで見たが、アン・バンクロフトが細身で私の趣味に合ってすばらしい熟女の誘惑ぶりだったこと、ダスティン・ホフマンが初々しい卒業生を演じていたこと、娘役のキャサリン・ロスが若い大学生役で水を得た魚のように生き生きしていたこと、脇役も達者な役者で固めていたこと、随所に英語の殺し文句のセリフが散りばめられていて当時の私をしびれさせていたこと、それになによりこの映画はサイモン&ガーファンクルの音楽で売ったこと、などを思い出す。ひとつひとつのシーンでも、たとえばダスティン・ホフマンが父親から卒業祝いにもらった赤のアルファ・ロメオを駆ってサンフランシスコのベイ・ブリッジを渡る長いシーンやペブルビーチの17マイルドライブウェイなど、北加の美しいシーンが随所にはさまって、私にとっては忘れ難い映画のひとつになった。いまでも VHS を持っており、年に何回かは映して見ている。

 それにしてもダスティン・ホフマンは若かったなあ。細身でカネに飽かせた衣装のアン・バンクロフトは熟女の魅力をたっぷり見せてくれていたなあ。筋は単純なのに、すばらしいアメリカのシーンの連続で、もう青春を終りかけていた私を楽しませてくれたなあ。そんな一生に何本の印象に残る映画だったのである。それいえばこの映画にも「青春映画」という呼び名がついていたっけ。□

(写真はネットなどから借用)

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日記190221・タミフル服用記

日記190221・タミフル服用記

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 二月初旬、五駅ほど電車に乗って用足しに出掛けた。発車間際に若い女が乗ってきて私から四席くらい離れたところに座った。あきらかに風邪を引いていて、派手にゴホンゴホンと大きな咳を連発していた。ひどい咳だった。にもかかわらずこの女はマスクもせず、咳をするときも自分の上着で口を覆うこともせず、前に向ってド派手に咳を連続的にするのである。私の隣のおばさんは、たまらず隣の車両に移っていった。面倒くさかったので、私はそのまま自分の席に座り続けていた。間の悪いことに、若い女も、私が降りる駅に着くまで一緒の車両にわずか三席ばかりを隔てて乗り合わせ続けていたことになる。席を変らなかったこちとらもバカだが、このおばさんも人迷惑なヤツだ。

 果たせるかな、帰宅後私は猛烈な咳に悩まされて風邪を引いたことに気付いた。正確にはこの女に風邪を移された、と言うべきだろう。三日目にとうとう我慢ができなくなってかかりつけの医者に行った。鼻にこよりを突っ込む簡単な検査をされてインフルエンザA型と診断された。医者はタミフルを五日分処方してくれた。問題はこのタミフルである。以前タミフルを服用した子供の異常行動などが報道されて、私もそれは知っていた。異常行動をするくらいだから、多分幻覚が起きるのだろうと想像していた。私の症状としては咳だけで、熱も痛みも出ず、たださすがに食欲はなく粥と梅干と汁だけの食事が数日続いた。これは服用後胃に多少負担感が残ったことと関係があったのかも知れない。

 私の場合、タミフルを服用し始めると、間もなく深く眠り込むようになったのは有難かった。私はずっと不眠症に悩まされていたからである。その代り、寝てから起きるまでずっと連続で夢を見ることになった。極彩色の天然色の夢で、私は夜中に何回も小用に起きるのだが、戻ってきて寝るとまた起きる前からの続きの夢を見るのだった。これがタミフルを服用していた三日半続いた。この間に風邪は大幅に軽減したが、そのあともまだ咳は続いて現在に至っている。私の場合は大人だったからであろう、心配していた異常行動は起らなかった。インフルエンザに対する効果もそれなりにあったのだと思う。少ないとはいえ、咳は出るし鼻汁も出る。もうあれから十日ほど経って、きっと私のインフルエンザA型はそれなりに治まったのかも知れないがまだ普通の風邪が完治していないに違いない。□

(写真はネットから借用)

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