tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記190301・卒業、The Graduate

日記190301・卒業、The Graduate

f:id:tokyokid:20190301194124j:plain

 今月は卒業の月だ。だがアメリカ映画の「卒業・The Graduate」はたしか1967年頃の封切り映画で、アン・バンクロフト主演、脇をダスティン・ホフマンキャサリン・ロスで固めたカラーのシネスコ映画であった。監督のマイク・ニコルズはこの作品でアカデミー監督賞をもらったし、ダスティン・ホフマンにとってはデビュー作であったはずだ。

 この映画はハリウッド映画のなかでも、それまでの正統派の劇映画の作品で、きちんとした話と筋の展開がある映画だったと言えよう。そう「駅馬車」や「哀愁」や「第三の男」や「カサブランカ」などと同系統の筋があって話があって、俳優は演技力を観客に見せつける、といったタイプの正統派映画の最後の見本だったのだ。このあとアメリカ映画は、良きにつけ悪しきにつけ「作り物の世界」にのめり込んでいく。

 話の筋は簡単で、ある金持ちの息子が大学を卒業して家に帰ってくる。本人は就職するか大学院に進むか決め兼ねて毎日をブラブラ過ごしている。父親が事業のパートナーシップを組んでいる親友の娘も大学に行っている。この二組の夫婦はそれぞれ自分の息子と娘が、ゆくゆくは結婚してくれることを望んでいる。ところが、こともあろうにパートナーの妻が大学卒業生の相手の息子にちょっかいを出してしまう。卒業生にとっては初めての相手だったが、やがて本気でその娘を愛してしまう。すったもんだの末にあの有名な結婚式の略奪シーンで映画は終る。私はこの映画を生れて初めてアメリカに渡った1967年に東海岸ロードアイランドで見たが、アン・バンクロフトが細身で私の趣味に合ってすばらしい熟女の誘惑ぶりだったこと、ダスティン・ホフマンが初々しい卒業生を演じていたこと、娘役のキャサリン・ロスが若い大学生役で水を得た魚のように生き生きしていたこと、脇役も達者な役者で固めていたこと、随所に英語の殺し文句のセリフが散りばめられていて当時の私をしびれさせていたこと、それになによりこの映画はサイモン&ガーファンクルの音楽で売ったこと、などを思い出す。ひとつひとつのシーンでも、たとえばダスティン・ホフマンが父親から卒業祝いにもらった赤のアルファ・ロメオを駆ってサンフランシスコのベイ・ブリッジを渡る長いシーンやペブルビーチの17マイルドライブウェイなど、北加の美しいシーンが随所にはさまって、私にとっては忘れ難い映画のひとつになった。いまでも VHS を持っており、年に何回かは映して見ている。

 それにしてもダスティン・ホフマンは若かったなあ。細身でカネに飽かせた衣装のアン・バンクロフトは熟女の魅力をたっぷり見せてくれていたなあ。筋は単純なのに、すばらしいアメリカのシーンの連続で、もう青春を終りかけていた私を楽しませてくれたなあ。そんな一生に何本の印象に残る映画だったのである。それいえばこの映画にも「青春映画」という呼び名がついていたっけ。□

(写真はネットなどから借用)

f:id:tokyokid:20190301194225j:plain

f:id:tokyokid:20190301194301j:plain

f:id:tokyokid:20190301194331j:plain