tokyokidの書評・論評・日記

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日記170811・藤村操

tokyokid2017-08-11

日記170811・藤村操
 いまどき「藤村操」と聞いて誰のことか即座にわかる人は少数派だろう。操、といえば女名前のようでもあるが、本人は歴とした男性であった。
 藤村操を有名人にした理由はたった一つ、彼が自殺したからである。自殺をしただけではこれほど有名にならなかったはずだが、彼は自殺の方法として日光の華厳の瀧に飛び込むに当って、かたわらの樹に「巖頭之感」という文章を残した。明治36(1903)年5月22日のことであった。当時彼は旧制一高の学生であった。享年満16歳。

巌頭之感
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

 美文とは言えるかもも知れないが、内容のない文章である。でも「オレは人生の目的を見出せなくなったよ」という気分は濃厚に出ている。これ以後「華厳の瀧」は自殺の名所となった。
 明治と平成の世を比較するのは無理があることを承知で言えば、わずか百年余の間に日本語は大きく変った。もちろんその間、日本国始まって以来初めての経験であった敗戦の事実があった。それにしてもいまの16歳は愚か、26歳でもこれだけの文章を書ける日本人はいるだろうか。私は現在の日本語が、明治期にくらべると豊饒な日本語が失われてしまい、いかに語彙が少なくなり、 文章も粗末になったか、ということを指摘したかったのである。マッカーサーの愚民政策があったにせよ、その後でも日本国民の手で修正する機会はいくらでも作れたはずだ。その間に日本語は無惨に痩せてしまったのである。ただそれだけ。されどそれだけ。□(写真はネットから借用)