tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

論評・羅府新報「磁針」コラム・日本人の漢字力【090305掲載原稿】

tokyokid2009-07-09

題名・日本人の漢字力
*   *   *   *   *
 最近の麻生首相のお粗末な日本語能力は恰好のニュース種だったが、それを囃しているマスコミを含め日本人の日本語は大丈夫なのだろうか。じつは戦後マッカーサーGHQ(占領軍総司令部)が押し進めた数多くの愚民政策のひとつに漢字の使用制限があった。
 敗戦直後の昭和21年(一九四六)にわずか千八百五十字の当用漢字が制定された。この数字がいかに少ないかは、手許の漢和「中」辞典が収録している漢字数が約一万一千字であることからもわかる。二千字に満たない当用漢字数(その後多少追加されていまは常用漢字と称される)では、長い日本の歴史上でつちかわれた豊かな概念や思想を充分に表せない事実が容易に察知される。さらに役人が書き換え語を制定して本来の漢字を常用漢字表にある漢字と置き換えたことが混乱に拍車をかけた。漢字は表意語であるから、ひとつひとつの漢字が意味を持つ。いまはそれを「常用漢字表にない」とか「音が同じ」というだけの理由で、たとえば「古稀」を「古希」、「掠奪」を「略奪」などと政府が書き換えを強制的に進めている。これだと本来の漢字の意味を理解したうえで過去の慣用によって文章を書いている者にとって混乱は必至だ。そのうえ豊穣な日本文化を継承する第一の手段である文章の表現が大幅に規制され、狭められてしまい、日本語が極端に痩せ細ってしまったのが現状だ。
 一例として、たとえば明治の文豪・夏目漱石が書いた「坊っちゃん」の戦前版と最近版を比較しながら読むと、使用漢字の違いから、ずいぶん異なった印象を受ける。まともな日本語は、常用漢字だけですべてを確実に表すことはできないのだ。とかく政治が人の頭の中のことにクチを出すとロクなことはない。敗戦から半世紀以上経って日本も独立国だというなら、一日も早く漢字の使用制限を再検討して古典の用例の基本に戻すべきなのである。
 現在では新聞・雑誌やテレビの番組でも、誤読のほかに誤字・当字それに人名の牽強付会の用例は目に余るものがある。漢字の政策を改めてもらいたい。 (木村敏和)
*   *   *   *   *