tokyokidの書評・論評・日記

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書評・プリンシプルのない日本

tokyokid2007-01-15

書評・★プリンシプルのない日本(白洲次郎著)新潮文庫

【あらすじ】
 白洲次郎は、第二次世界大戦に日本が敗れた翌年の昭和二十一年(一九四六)から五次にわたって首相職を務めた吉田茂の側近として、政治的戦後処理に立ち会った人として知られる。その後貿易庁長官、東北電力会長などの公職に就いた。この文庫本には、白洲次郎が積極的に執筆した一九五一年から五六年までの、文芸春秋週刊朝日、新潮、日本経済新聞、そして例外的にずっと後期の一九六九年に掲載された一篇を含めて、当時の思いのたけを綴った文章が収録されてある。本の題名となった「プリンシプルのない日本」は、その一九六九年九月号の「諸君!」に掲載された原稿である。文庫本といいながら、この本の編集は親切になされていて、次のひとびとのコメントや座談会速記録なども併録してある。
まず副題として「カントリー・ジェントルマンの戦後史・白洲次郎直言集」とあり、
つぎに今日出海の故人紹介記事「野人・白洲次郎」、
別篇ともいうべき「日本人という存在」白洲次郎河上徹太郎今日出海座談会記録、
巻末に辻井喬の故人紹介記事「プリンシプルのあった人」、
そして青柳恵介による解説、
とあり、今は亡き白洲次郎の人となり、考え方、主張する内容をいろいろな角度から読者に提供しようとする姿勢に貫かれた良心的な編集ぶりである。
【読みどころ】
 日本の歴史始まって以来の「敗戦」という現実に直面して、万世一系天皇を凌ぐ権力者である連合国軍最高司令官マッカーサー元帥を迎え、当時の行政府や日本国民がどのように混乱を極めたか、それらの現実を冷静に見つめて国の政策を誤らなかった白洲次郎の考え方の拠って来たるゆえんを自身解説したのがこの本である。明治維新のときの先人は、当時アジアを席巻していた欧米強大国が日本などアジア諸国を植民地化すべく野望に満ちた動きを見せていたのに対し、その動きを封じ、日本国の独立を護るために、身命を賭して働いたのがこれら先人であった。白洲次郎の場合は、第二次世界大戦に敗れた日本が、国を維持し、国民を飢えさせずまた精神の矜持を保つために、当時国の指導者の一角を占めていた白洲がどのような考え方をもって、外交ではマッカーサー司令部と渡り合い、国内ではどのような政策を推し進めようとしたか、その「プリンシプル(原理、原則、主義)」を語って過不足がない。この文庫本のなかで白洲次郎が語る当時の日本人のなかにも、重箱の隅をつつくような意見や、新しい権力者に対する阿諛追従を恥ずかしげもなく展開する者が目に余ったのであり、反面「プリンシプル」のある考え方が必要である、と声高に問題提起したのが白洲次郎であった。あれから半世紀も経って、日本は未だにまったく同じ「プリンシプル不在」の問題を抱えている。この点において、官民挙げて、これほど進歩がない国も珍しかろう・・・どころか、退歩を示している国も少なかろう。
【ひとこと】
 白洲次郎は、明治三五年(一九〇二)兵庫・芦屋の裕福な実業家の次男として生れた。昭和六十年(一九八五)没。中学を卒業して英国のケンブリッジ大学に留学し、九年間に渡る留学生生活のなかで、西洋人のものの見方、考え方に関しておおいに学ぶところがあった。実家が裕福であったから、現地での生活に不自由はなく、白洲自身現地人なみの熟達した英語を操り、高級自動車(その多くはスポーツカー)を乗り回すのが趣味、という貴族的生活ぶりを送ったらしい。この頃の写真を見ると、いかにも利かん気の貴公子然とした白洲次郎が、乗り回した自動車と一緒に写っている。実家が破産し、日本に帰り、薩摩の樺山正子と結婚し(のちの白洲正子)、新聞記者や商社その他の企業で働き、勝手知った外国での突出した勤務ぶりであったらしい。その英国で生活を送っていたころから、戦後長らく首相を務めた吉田茂とのかなり濃密な交流があったと伝えられる。自身の個人的生活も大変動時代であったと思われるのに、日本は英米を相手に戦争を始め、敗戦に追い込まれた。白洲は戦前から、日本が戦争を始めれば食料が不足することを見越して、東京近郊に農地を求めて百姓を始めていたが、敗戦と同時に吉田茂に引っ張り出されてマッカーサー司令部との折衝役に駆り出される。そこで日本国の新憲法そのほか、敗戦時の重大な局面に立ち会う、というか、立ち会わざるを得ない立場に追い込まれた。結果として日本は、元来白洲のもつ「プリンシプル」に支えられて、その後歴史に残る経済的発展を成し遂げ、戦後の復興を果たしたといえる。この人の写真を見ると、戦前の日本には、容姿風貌とともに人格識見に於ても、貴族といって恥ずかしくない人が生きていたという実感が、真に迫って感じられる。
【それはさておき】
 白洲次郎の足跡を追った好著に「風の男・白洲次郎」がある(青柳恵介著・新潮文庫)。読者はこの本とともにそちらのほうも読み併せられることをお勧めする。戦前の教育や人材はすべて悪く、戦後の民主主義の日本がすべていい、などと即断することがどれほどにナンセンスなことであるか、万人に納得されるであろう。いつの世でも、「デキる男」は出来るのであり、「ダメ男」はダメなのである。□