日記200321・曲学阿世の徒
日記200321・曲学阿世の徒
世の中変ったというしかない。なにしろ昔は凄かったねえ。政治家が学者それも東大総長をつかまえて「曲学阿世の徒」呼ばわりをするのだから。いまなら逆に学者が政治家を指して言う言葉だろう。
昭和25(1950)年5月3日、当時全面講和を主張した東大総長・南原繁を指して時の首相・吉田茂は南原を「曲学阿世の徒」と決め付けた。スゴイねえ。「曲学阿世の徒」とは「学を曲げて世におもねる奴ら」という意味だから、普通なら学者が政治家に浴びせる言葉だ。時代も戦後混乱期で、世は「全面講和か部分講和か」で揺れていた激動の時代だったから、これしきのことは驚くに当らないことなのかも知れない。
私は個人的に吉田茂が首相在任中にカネをポケットに収めたことは絶対になかったとは言い切れないと思っている。その人が、あまり余得には縁がなさそうな学者を指して「曲学阿世の徒」と呼んだのだ。この場合に限っては、そういわれるのは吉田茂のほうであったと私は思う。ともかくこの時代は桁外れの時代だった。
いまならもりかけを食う首相に対して「曲学阿世の徒」とは誰でも言える。70年の年月を経たあとでは、どちらが曲学阿世の徒だったかは判断がつくだろう。ま、世の中がちまちまと小さくなったということか。言うほうも言われるほうも大人物、なんてことはなくなったらしい。□
(写真はネットから借用)