tokyokidの書評・論評・日記

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論評・EWJ「四字熟語」コラム・羽化登仙

tokyokid2011-04-26

(三)「羽化登仙」(うかとうせん)
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「羽化」は羽が生えること、「登仙」は天に昇って仙人になること。だからもともと「天にも昇るよい心地」を指し、さらに「酒に酔って気分のいいさま」をもいう。出典は「古文真宝後集」前赤壁賦。試みに「広辞苑」を引いてみると、「羽化」は「中国の古い信仰で人間に羽が生えて空を飛ぶ仙人になること」とあり、また「仙人」は「道家の理想的人物」とある。かつて道家は、儒家とともに先秦時代に二大学派を形成していたから、この四字熟語もそうとう古くから使われていたのかも知れない。さらに考えれば(先秦といえば西暦前四百年のころの話だから)紀元前から人間は「天にも昇るいい心地」になることがあり「酒を飲んでいい心持ち」になることもあったのであろう。すると二四〇〇年前もいまも、人間のすることはあまり変わらない、ということになる。
 アメリカのライト兄弟が飛行機を発明する以前、ということは僅か百年ちょっと前まで人類は自由に空を飛ぶことができなかった。だから飛ぶ鳥を見てあこがれに近い感情を持ったに違いない。鳥とすればただ呑気に空を飛んでいるだけではなく、けものが地べたを這い回ってエサを探すのと同様の作業を空を飛びながらしているはずだが、人間の場合、たとえば領主の圧政を受けて苦しんでいる被支配階級が、死ぬほどつらい日常の苦労を忘れるために「鳥になって他(天)国に行きたい」という願望を持ったとしても不思議はない。鳥になったらさぞ気持ちいいだろう、と考えたのだ。昔は領主の同意なしに百姓などの平民が自由に移動することは許されなかった。だからまったく移動の自由を持たなかった人たちが一見「自由かつ呑気に」空を飛ぶ鳥に真剣にあこがれたのも無理はない。人間に羽が生えることを夢想すること自体、この四字熟語が意味するところは、現代とは比較にならぬほどの切実性がありかつ生活上の重みを持っていたのであろう。
 だがこれが「酒に酔って気分のいいさま」という意味で使われるとなると、話は多少ちがってくる。酒を飲まない下戸の者からみれば、会社であれ家庭であれ、周囲から受けるストレスを発散するのに酒を飲めば済む上戸の者は、羨望の的である。「酒を飲んで上司の悪口を言う」ことを庶民の娯楽の第一に挙げていたのは、江戸時代の戯作者だったかえらい学者だったか、はたまた現代の新聞であったか。ここで疑問に思うのは、酒を飲むこと自体は洋の東西を問わずどこでも見られることだが、意識がなくなるまで徹底的に飲んで醜態をさらすのは日本人だけの習慣ではなかろうか、ということである。東京・新宿駅の終電間際のホームを想像するまでもなく、酔って意識を失い、人にからみ柱にからみ、支離滅裂わけの分からないことを口走ってその上所構わず小間物屋を広げるという、箸にも棒にもかからない「日本型」酔っ払いは、当地アメリカでも日本人街の飲み屋にいけばまだときどき観察することができる。下戸に言わせれば酔うほうも酔うほうだし、それを際限なく介抱するほうも介抱するほうだが、意識朦朧、まっすぐに歩けなくなるまで飲むこと自体、理解に苦しむ行動なのだ。「他人に迷惑を掛けない」「万事に程度をわきまえる」「己れを律する」そして「ノブレス・オブリージェ」が紳士の金科玉条であり、紳士でなければ紳士の社会には入れてもらえないヨーロッパやアメリカの社会では、想像もできない酔い方をするのが一部の日本人なのである。
 してみると「羽化登仙」も酒がからんだ場合はほどほどに、ということだろうか。□