tokyokidの書評・論評・日記

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論評・EWJ「四字熟語」コラム・朝令暮改

tokyokid2011-08-14

(十七)「朝令暮改」(ちょうれいぼかい)
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 朝命令を出して、夕方にはもうそれを改める、ということ。法律や命令や規約や指示などが、たびたび改変されてアテにならないことを言う。これはいまでも「赫赫有名」な四字熟語であり、各方面で頻繁に使われるから、いまさら説明の必要はないくらいのものだ。いわば「三日坊主」の程度が極端に進んだ状態を指して言う言葉であるとでもいうべきか。出典は「漢書」。類語で「朝改暮変(ちょうかいぼへん)」というのもあり、このほうの内容はもっと極端であるが同じような意味で使われる。
 だいたい命令を出すのは上のほう、受けるのは下のほう、と昔から定まっている。だから朝出した命令を夕暮にはもう改変するということであれば、これは悪政の見本であるが、こういう現象はふつうに組織の中でみられる。上からの命令が頻繁に飛んできて、しかもそれが頻繁に改変されるとすれば、下は混乱する。その結果士気も下がる。下が混乱すればするほど業務や生活の効率は悪くなり、状態は悪い方へと向かう。朝令暮改がひんぴんとして起こる組織は、いい組織とはいえないのである。皆そんなことは百も承知で、しかもなぜか朝令暮改をなくすことはなかなかできないのが普通だ。こういう組織は指導者のアタマが固く、政策や組織が硬直化している場合が多い。また指導者が指導される側の事情をかえりみない場合も多い。だから自分の都合や思いつきで次々と新しい命令を発する。そうすれば内容が矛盾する場合もでてくるだろう。こうして「朝令暮改」「朝改暮変」がなくなることはない。下は混乱し、当人が真面目に業務を処理しようとする人であればあるほど、上に向かってうらみ・つらみのオンパレードとなる。この状態がさらに進めば、ついには「下克上」の世界を現出する。そうなれば組織としては破滅あるのみ、の状態になる。言えることは、朝令暮改は組織混乱の先行指標だ、ということだ。
 同じ短い時間を指す「朝」と「暮」を使うもうひとつの四字熟語に「朝三暮四(ちょうさんぼし)」がある。宋の国に猿の好きな人がいて、猿をたくさん飼っていた。でも費用がかさんで飼い切れなくなってきたので、餌を減らすことにして、猿どもに向かって「これから餌のどんぐりを朝三つ、暮に四つ、ということにする」と言った。それを聞いた猿どもが怒り出したので、「それでは朝四つにして、暮は三つということにしよう」というと猿どもはそれで納得したという(出典・列子)。この話から「詐術を以って人を愚弄すること」を「朝三暮四」というようになった。「朝三暮四」はなんだか日本に限ることなく、現代の政治家や官僚が国民を騙して黙らせるときに使うテクニックを表しているように思えるが、れっきとした古くからある中国のことわざなのである。民衆は昔から、お上にはこのような「騙しのテクニック」があり、それが一種の伝統として綿々と続いていることを忘れるべきではない。
 それはそれとして「朝令暮改」の反語は「泰然自若」「百黙一言」などであろうか。短い時間内にたくさんのことを詰め込もうとすると、ひとつひとつの事柄は矮小化されざるを得なくて結果はろくなことにならない。もともと重要なことでも、多数のうちの一つ、に成り下がってしまうのである。こうなれば「木を見て森を見ず」の状態になり、結果は混乱、疑心暗鬼、そして不満が鬱積し、レベルも下がる。上に立つ者はすべからく鷹揚に構えて命令は本質的なことに限り、なるべく部下に権限を委譲し、間違っても「朝令暮改の徒」に成り下がらないことを心掛けるべきなのだ。□