tokyokidの書評・論評・日記

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書評・日本の「死」

tokyokid2007-03-17

書評・★日本の「死」(中西輝政著)文芸春秋社

【あらすじ】
 政治学者の著者・中西輝政氏が平成十五年(二〇〇三)に書き下ろした表題の本。「日本は死ぬだろう。いや、すでに死んでいるといっていい」から始まる「まえがき」と、目次から項目を紹介すると、
<第一部>
第一章・日本の「死」
第二章・藻屑と化した平壌宣言
第三章・北朝鮮問題がつきつけるもの
<第二部>
第四章・米国の単独主義にどう対抗するか
第五章・国家主権の喪失
第六章・日中国交回復 幻滅の三十年
<第三部>
第七章・喪われた国益
第八章・石原慎太郎総理へのシナリオ
第九章・「わかり易い政治」の危険
<第四部>
第十章・「押し返す保守」の基軸
第十一章・石原慎太郎における老いと成熟
となる。
本書は平成十五年(二〇〇三)一月に出版されたが、内容はそれに先立つ一年数個月前に月刊誌等に発表された論稿などを整理し、一冊の本にまとめた、とある。ときは小泉首相の訪朝の時期と重なる。全四部の内容は、第一部が焦眉の北朝鮮関係、第二部が同じく日本に迫る外からの危機、第三部は隘路に陥った小泉政治、第四部は今後の日本再生に必要な進路とそのためのリーダー像、から成っている。
【読みどころ】
 中西輝政氏の立場は、二〇〇二年九月の小泉訪朝とその結果としての「平壌宣言」は明らかな失政であり、小泉内閣は「死に体」を打開すべく外交問題をもっとも悪いタイミングで、もっとも悪い相手を選んで「日本の死」につながりかねない結果を導き出した、というものであろう。最悪のタイミングと最悪の内容でまとめた小泉訪朝の結果、外交の基本を守らない「死んだ」日本国外務省、北朝鮮問題で明らかにされた「情報欠落国家・日本」、日本が国家主権を放棄した事実を天下に知らしメタ「瀋陽事件」、同じく日本の北方領土問題をテコにロシアとの連携において自国の権益を拡大し、日本に敵対制作を打ち出した韓国と外交の基本を外してまでそれを認めざるを得なかった日本の「外務省」による外交、日本がスパイ天国であるがゆえに拉致事件を招いた実情、賠償も領土も台湾もすべてあいまいにしている日中国交回復後、日本の主権が侵害されている実情、かくも醜き国に落ちぶれた日本、国家を体現する「法」「軍隊」「宗教」の三要素、国益のみが永遠であるべきだ、という主張、小泉首相が公約に反して靖国神社拝礼日時をずらして満天下に生き恥を晒し日本は他国の内政干渉を許すと公言したに等しい愚挙、石原慎太郎総理待望論、などが本書で語られる。
【ひとこと】
 著者は「・・・政治家もメディアも国民もますます本来の国家観、歴史観国益観の喪失が進行している」と指摘する(本書一一一頁)。現在の日本社会を覆う拝金主義、利己主義、重要事項先送り主義、無責任主義などに起因する一種の社会混乱状態を考えると、この著者の指摘を一概に誤解・言い過ぎと片付けることはできない。以上の論調を基礎に置いて、著者は「日本の死」を語る。これは未来の問題ではなく、すでに起こってしまった事実なのかも知れない、という見方も成り立つところに、この問題の本質がある。こうして政治といわず外交といわず、国家成立の基本を踏み外した国の未来が明るいはずはない。そのことを、政治学者らしく、著者の中西輝政氏は、問題を分析し、解釈し、対抗策を示す。
【それはさておき】
 本書では物議をかもした田中真紀子外務大臣の事跡についても語られる。しかし評者は、外務省の機密費問題だけとっても、外務省官僚が国民の税金を使って個人用の競馬馬や、コロラド領事館で不要の名画を法外な価格で買い入れたりした腐敗ぶりを国民の前に並べてみせてくれた功績だけでも見落とすべきではないと考える。もし田中真紀子外務大臣に就任しなければ、これらの不祥事はいまだに闇の底に沈んでいたのかも知れないのだ。だが一般論として、評者は日本が国家を挙げて国益をここまで損なう行為を重ねてしまうと、その失点を取り返すのは至難の技であると感じる。まして本書でも指摘される外務省内のチャイナ・スクールの存在や、それに準じたマスコミその他民間の反国家行動を排しつつ、今世紀以降も我が国が独立を保つのはむずかしいのではないか。評者はそのように考える。□