tokyokidの書評・論評・日記

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日記150616・上野から浅草へ

tokyokid2015-06-16

 いまでこそ浅草へもいろいろとアクセスができてしまったが、ひと昔前は、浅草に行くにはまず国鉄(いまのJR)で上野駅に出て、地下鉄に乗り換えて浅草に行く、のが常道であった。もちろん地下鉄は、私のこどもの頃からでもすでに浅草から新橋経由で渋谷まで開通していたから、たまたま渋谷や新橋に居る人は、景色がなにも見られない地下鉄に揺られて浅草まで直行した人もたくさん居ただろう。いまの東京メトロ銀座線だ。
 ここでは主としてJR上野駅から地下鉄上野駅に通じる地下街を通して、プラットホームからプラットホームまでを見てみる。JRでは、最近新たに上野東京ラインが開設されて、たとえば東海道線小田原駅熱海駅から宇都宮線小金井駅行きや、高崎線高崎駅行きの直通列車が数多く走るようになった。つまり東京山手線内の駅で乗り換えることなく、いわば関東平野の隅から隅まで、直通列車が走るようになったのである。これは在来線の一大改革であった。
 話は横道にそれたが、上野駅でJRから地下鉄に乗り換えるには、地下道のお世話になることが多い。いまはご覧のように、ピカピカに塗装された曲がりくねった地下道が見えるが、ここは戦後すぐ、たくさんの浮浪者や浮浪児が住みついていた場所だ。戦災とくに下町の3月10日の大空襲によって、幸いにも焼死は免れたが住む家を失った人はそれこそ無数にあって、その人たちがやむなく上野駅の地下道をねぐらにしていたのだ。私自身も、そのとき同じ年代のたくさんの浮浪児がこの地下道を埋めていたのを、上野駅を通過したときのこととしてよく覚えている。
 そんなことも今は昔、現在では着飾った男女が行き交うただの地下道になってしまった。戦前・戦中・戦後の東京を知る身にとっては、ただただ感慨ひとしお、のひとことに尽きる。