tokyokidの書評・論評・日記

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日記141114・愛宕・虎ノ門界隈

tokyokid2014-11-14

日記141114・愛宕虎ノ門界隈
 先日愛宕から虎ノ門界隈、といっても青松寺寄りのごく限られた地域だが、そこを歩いてきた。昔気質の人は、愛宕虎ノ門ではないよ、というかも知れない。でも最近、地名でいうと愛宕一丁目にできた高速道路の上に大きなビルができて、それが「虎ノ門ヒルズ」と名付けられていた。たしかに「虎ノ門」は全国区だろうが、「愛宕」は東京に住んでいる人にしか用はなかろう。地名僭称は世の習い、平成の市町村大合併後のいまでは「奥州市」や「甲州市」というのができて、これが僭称もはなはだしい。「僭称」とはなんだって? ご自分で辞書を引いてご覧になってください。いまはこの程度のこともわからないのが、地方自治体の役人なんだよ。
 昔虎ノ門愛宕寄りの通りには、自動車部品の販売店や自動車修理工場が建ち並んでいた。いまは大きな事務所ビルになってしまっている地域である。ただしいまの新橋から愛宕にかけての地域は、江戸時代には小さな屋敷や町屋が並んでいたところだから、いまでもその面影を残していて、大きなビルばかりが林立しているわけではない。でもだいぶ地上げされて、大きなビルが並ぶようになってきたのは写真で見るとおりだ。
 愛宕には高い山の上に愛宕神社があって、そこに登る急な階段を男坂、横にある緩い坂を女坂といった。写真の上下に大きな鳥居が写っているのが男坂、「愛宕神社参道」と表示があるのが女坂である。男坂は、江戸時代の寛永馬術で有名な曲垣平九郎が、乗馬のままこの急階段を登り降りして大評判になったところだ。ネットから拝借した絵も掲げておく。ここは山上からの景色がよく、昔の江戸湾を見渡せる風光明媚の名所だったから、今は亡き池波正太郎が自作たとえば「鬼平犯科帳」のなかで、盗賊の首領が茶屋の女と出逢うところなぞを描いている。
 学齢前の私は、父母に連れられて当時の芝区南佐久間町の親戚宅を訪れることがなんどもあった。いまの虎ノ門のこんびらさんのすぐそばであった。戦前前のそのころは、こんぴらさんのお祭りには山車が出て、大勢の子供が着飾って引いていた光景を、太鼓やお囃子の音と共に記憶に残してある。そのこんぴらさんの境内に大きなビルが建ったのは、さて、昭和のいつごろだったか。