tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記180511・コメのメシ

tokyokid2018-05-11

3日記180511・コメのメシ
 人類が採集生活を捨てて農耕生活に入ってからまだ一万年経っていないそうだ。その筋の人の話である。コメが日本に入ってきたのは弥生時代になってからだ。それでも数千年の歴史があることになる。この期間、私どもはコメをナマで食うのではなく、炊いて食ってきたはずだ。問題はいまコメを炊くのに使われる主要な道具の電気炊飯器に満足なものがない、ということだ。宣伝と広告の時代だから、広告コピーだけなら、羽釜で炊くのと同じように炊ける電気炊飯器がどこにでもあるはずだ。それが我が家ではここ五台ほども続けて満足な性能の電気炊飯器に当らない。まさかかまどで炊く羽釜に戻るわけにもいかないから、ガス炊飯器に代えようと相談がまとまりかけている。
 長い間、日本の物価の基準はコメであった。ものの価値がそこにあったからである。封建時代の領国の大きさも、統治者の武士の俸給もコメの石高で表された。加賀の前田が百万石、江戸幕府の盗賊改方の旗本・長谷川平蔵の俸給が四百石、というように。それで思い出したことがある。コメに関する度量衡の問題だ。敗戦後日本は尺貫法からメートル法に移行したが、それまでのコメを計る単位は大から小へ、石、斗、升、合、勺であった。十進法であった。ちょっと厄介なのはコメを入れる容器は長いことコメ俵が使われていたが、コメ俵には四斗入って約六十キロの重さとなる。戦前はコメ俵がかつげないと一人前の大人として認められなかったものだ。コメ俵が四斗入りだから、石数を何俵か換算するときは気をつけなければならない。
 この前テレビを見ていたら、十六人だかの子沢山の家の主婦が一回にコメをどれくらい炊くか訊かれて「十八合です」と答えていた。こんな言い方はない。一升八合だろう。もうこれほどまでに、日本人のコメの認識はズレてしまったのだ。コメの消費が下落一方なのもうなづける話ではないか。□
(写真はネットから借用)