tokyokidの書評・論評・日記

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ルポ・有料老人ホーム体験宿泊記(その1)

tokyokid2008-10-24

□有料老人ホーム体験宿泊記(その1)
 齢をとると、若いときにはわからなかったこともわかってくる。健康問題もそのひとつである。若いときは、街を歩く年寄りを見て、どうして彼らはあんなにのろのろと歩くのだろうと思っていた。自分がその齢になってみると、あちこちが痛むので、さっさと歩けない、つまりのろのろと歩くしかないことがわかってきた。自分ではさっさと歩きたいのにも拘らず、である。ふと現役のとき満員電車で自分が座っていて、前に疲れた様子の年寄りが立っていて、こちらも仕事に疲れていたので席を譲らなかったことを思い出した。なんであんな残酷なことをしたんだろう。
 当方も古稀を過ぎて、いつ立枯れ状態になってもおかしくないことになってきた。身体が動かなくなったら、否応なしに他人の世話にならざるを得ない。在宅で家内が助けてくれるうちはそれで済むだろう。でも助ける立場の家内が動けなくなって、そのとき自分も動けなくてとなっていたとしたら、ならばどうするか。
 こういうときに行政はアテにならない。アテにしてはならない。アテにすれば、もっと悲惨な状態に自分を追い込むことになるからだ。彼ら役人にとってわれわれ納税者は税金を取り立てる対象としては重要であっても、公僕として仕える相手ではないのだ。当方が入学した小学校(当時は国民学校)の創立者福沢諭吉は世に有名な「独立自尊」を教え「天は自ら助くるものを助くといえり」と書き残した。明治維新のときからすでに「自助努力」を説いていたわけだ。これは誰にとってもいい人生を送るためのまことにいい教訓・指針であったと、自分の過去の人生の長さにくらべて将来の期間が極端に短くなってしまった現在、心からそう思う。でも小人の当方は、動けなくなったら他人に助けてもらいたい。ならばどこを頼るか。
 日本で自分の老後をどこでどう過すか。ひとつの選択肢として「有料老人ホーム」がある。高齢者激増時代を迎えて、いまは雨後の筍の如く、新しいところもたくさんできてきている。だが有料だからおカネがかかる。あり余るおカネがあるわけではない当方としては、なけなしのおカネをはたくに値するサービスを提供してくれる施設を見つけておかねばならない。ならば少しでも自由に身体が動くうちに、市場調査をして情報を集めておこうではないかと思い立ったのが、この「有料老人ホーム体験宿泊記」を書くきっかけになった。身体の動くうちに、あちこちを見て回って、情報を蓄積して、イザというときの判断基準にしようとの魂胆があった。これはその第一弾として、まず本を一冊読んで、そのつぎに先月(2008年9月)訪日した機会を捉えて、とりあえず首都圏の4個所の有料老人ホームに体験宿泊して、比較のために現在住んでいる米国・カリフォルニア州にある日系の高齢者引退ホームの(ここにはボランティアとして何年か通ったから入居者に友人もあるし施設に関してもある程度の知識もあるので)データも集めて、現在筆者が住んでいるカリフォルニア州ロスアンジェルス市南に位置する「老人コミュニティ」のことも書いて、以下率直なルポを書いてみようと思う。ちょっとでも読者諸賢のご参考になればいいのだが。

1. 「有料老人ホーム」とは
 日本の「有料老人ホーム」とは、民間資本によるいわゆる「老人ホーム」を指す。入居者は自分で一定の金額を払って老人ホームに入れてもらうわけだから「有料」老人ホームなのである。この点政府(といっても直接に管理するのは市町村などの地方自治体)管掌の「特養・特別養護老人施設」や、「老健老人保健施設」などとは本質的に異なる。
 われわれ利用者の側から見れば、政府管掌の「特養」や「老健」が介護保険にもとづく市町村管理の老人施設である(したがってなんらかの意味での政府の財政援助が期待できる)のに対し、「有料老人ホーム」は私費による個人のための私企業(つまり営利事業主)経営による有料の老人ホームである(ただし「特養」や「老健」にも、入居者が支払わねばならない自己負担金があるとのこと)。このように日本の有料老人ホームは「私企業による経営」であるから、経営元の私企業は利潤を上げなければ倒産してしまう。この点が親方日の丸の「特養」や「老健」と大いに異なる。
 当地アメリカの制度とくらべてみれば、日本の「有料老人ホーム」(以下原則として「老人ホーム」と略す)のほうは、経営方式の点でアメリカ中どこにでも見られる私営の老人ホームと似通っているといえる。つまり入居者の支払によって老人ホーム側がサービスを提供するという形が共通である。ただし提供されるサービスの中味は、日米両国民の法律や文化や習慣や日常生活などの差により、おおいに異なる内容であることは言うまでもない。このことは順次触れる。
 当然のことながら、「有料」老人ホームのような一生にいちどの大きな買物は、感じや印象だけで決められるものではない。気に入らないからといって、経済的に簡単に転居できることではないからである。もし入居しようと思えば、その老人ホームの概要を知ることもさることながら、実際に宿泊してみて人や設備や住み心地をチェックする必要がある。このことに関しては、この業界には「体験宿泊」という有用な制度がある。一泊2、3千円から5千円超くらいの料金でその老人ホームに泊まらせてくれ、係員が施設概要を説明してくれてなおかつ食事や風呂などの設備も自分で「体験」できる制度を設けている老人ホームが多い。つまりこれが同業界でいう「体験宿泊」(施設によっては「体泊」と略して掲示してあるところもあった)制度なのである。それで筆者が体験宿泊を実行するに際してまずやったことは、現在の情報氾濫時代を利用して、あらかじめ「有料老人ホーム」の情報を集めることであった。この手段としてはインターネットを活用した。いまは個々の老人ホームにせよその業界団体にせよ、この方法で少なからぬ情報が簡単に入手できる。これは有難いことだったが、なにごとも外側から得た情報だけでは不充分と考え、内側から見ることも大切であると、実際に自分が入居するとなれば候補たり得る老人ホームをいくつか選んで、そこに足を運んで「体験宿泊」を試みることにした。
 ま、老人ホームに関してはこれくらいの予備知識しかなかったが、寄る年波をつくづく実感するようになった筆者は、日本訪問を機に、この「老人ホーム」の体験宿泊をしてみようという気になり、今回その実験を果たしてきた。なにごとも情報がなくては判断できず、情報を収集してみた上で老人ホームの現場に足を運ぶことから始めよう、としたのであった。
 現在の日本では「特養」や「老健」はどこでも待ち行列が長く、希望してもすぐ入れることは望み薄で、どうしても老人ホームに入りたいとなれば、現実的な選択肢は民間経営の「有料老人ホーム」しかない、と聞いた。それでまっさきに思いついたいくつかの有料老人ホームの体験宿泊を実行したわけである。体験宿泊を実行した有料老人ホームの所在地は、神奈川、静岡、千葉の各県にまたがる。あらかじめお断りしておくが、以下述べる実際に体験宿泊したこれらの有料老人ホームは、自分が入居するとしたら生れ育った東京から見て地域的に近い、それでいて気候温暖なところ、ということを基準として任意に選んだ。気候温暖なところから選んだもうひとつの理由は個人的なもので、腰痛に悩まされている筆者としては、温かい地方のほうが過ごしやすいだろうということであった。
 実際に複数の老人ホームで体験宿泊をしてみると、設備や食事や風呂やスタッフやその他もろもろが、施設によってかなり異なることもわかった。有料老人ホームは日本全国に展開してその業界団体も組織されているので、読者がご自分の入居先を検討されるときは、順序としてまずこの業界団体に接触するところから始められることをお勧めする。この件に関しては後で詳述する。□