tokyokidの書評・論評・日記

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書評・月刊誌「室内」

tokyokid2007-08-22

書評・★月刊誌・室内・平成16年(2004)1月創刊50年号(山本夏彦主宰)工作社

【あらすじ】
 このインテリア専門の雑誌は、最初昭和三十年に「木工界」という名前で創刊された。創刊したのは、「かの」山本夏彦である。途中昭和三十六年に現在の「室内」に改題した。山本夏彦の死後、後を襲った長男の山本伊吾氏によって、しばらく発行が続いていたが、この創刊50年号を発行してしばらく経った平成18年(2006)3月号をもって休刊となった。この雑誌は、よくも悪くも、主宰者の山本夏彦の分身なのである。「その」山本夏彦は、大正4年(1915)生れ、平成14年(2004)10月没。自分の創刊した雑誌の創刊50年号をみずからの手で作り上げて、有終の美を全うしたといえる。
【読みどころ】
 山本夏彦は著述家として有名であった。名コラムニストともいわれた。著書としては「私の岩波物語」(文芸春秋社)、「変痴気論」(中公文庫)、「茶の間の正義」(中公文庫)、「世は〆切」(文春文庫)「編集兼発行人」(中公文庫)それから本書評でも取り上げた「誰か『戦前』を知らないか」(文春新書)などである。その山本夏彦が、雑誌の創刊時に問われて{死ぬまえの暇潰しですよ}と言っていたという。なんでインテリア雑誌か、と問われて「競争の烈しくなさそうな商売を職業別電話帳で探してこれにした」と韜晦ともとれる説明をしていたという。これは著作のなかにもでてくる話である。
【ひとこと】
 インテリア雑誌なのに「室内」の執筆陣は、豪華さというか、異端というか、毛色の変りぶりはどうだ。生前山本夏彦は、「『室内』は建築の関連雑誌として業界に認めてもらえない」とこぼしていたのもむべなるかな、である。この創刊50年号の執筆者にも、安部譲二鹿島茂藤原正彦坪内祐三出久根達郎などの名が見える。一方巻末の「バックナンバーご案内」を見ると、「資格試験・問題と回答」「家具」「インテリア」「収納」「キッチン・水まわり」「暖房・空調」「材料と仕上」「建材」「住宅のディテール」「住宅・マンション」「建築」「インテリアショップほか」「デザイン」「その他」に分かれていて、これはきちんと建築雑誌をやっているな、という感じである。評者がこの号で高く評価するのは、創刊50年記念の特集記事「さぁ出発 インテリアの旅」のなかで、九州新幹線の「つばめ」を世界のコンセプトカーとして取り上げていることだ。いまのところ九州新幹線新八代鹿児島中央間しか走っていないが、博多から新八代までの在来線のリレー列車と併せて、車内外のデザインのよさは万人の鑑賞に足るほどの出来栄えであることを、デザイナーの水戸岡鋭治氏の名前とともに記事のなかで紹介している。これは無機質なデザインともいえないデザインのJR東海を始めとする本州3社の新幹線車両とは比較にならないいいデザインで、そのことをきちんと特集記事に写真とともに取り上げている編集は、手垢のついた言葉でいえば、大人の感覚が感じられる素晴らしい出来栄えと鋭い美的感覚がある。
【それはさておき】
 前述したように本書評で底本とした「室内」創刊50年号を発行して間もなく、この雑誌の主宰者・山本夏彦は世を去った。出版社としての「工作社」は、社員のしつけのいいことでも知られていた。新入社員が入社すると、山本夏彦はポケットマネーで清水幾太郎の「私の文章作法」と、木下是雄の「理科系の作文技術」を必ず買い与えていたという。言葉とともに礼儀作法にもこだわりがあって、同社の訪問客は社員の「いらっしゃいまし」(いらっしゃいませ、ではない)の声に迎えられたという。戦前のかなり大きな躾のよい商店を髣髴させる話ではないか。自分の好きなことを、自分の好きなように仕遂げて、これほど幸福な人生もなかったのではないか、と外野席の私どもには思わせる。これでまた日本の戦前を知る知識人がひとり居なくなった。□