tokyokidの書評・論評・日記

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書評・苺の季節+

tokyokid2007-07-09

書評・★苺の季節(コールドウェル著・杉木喬訳)角川文庫+tokyokidの「人生最初で最後でないジャム作り」

【tokyokidの「人生最初で最後でないジャム作り」・本文】
 生まれて初めてジャムを作ってみた。結論からいうと、苺のジャム作りとはこんなに簡単なものか、と拍子抜けするほどに簡単だった。
 だからと言って、素人が作ったものだからまずいかというと、それがそうでない。出来上がった自家製の苺ジャムは、申し訳ない言い草だが、きれいなビンに彩りも美しいラベルを貼って澄まし顔で店頭の棚に並んでいる結構な値段の市販のメーカー製ジャムよりはるかに香り高く、かつおいしいのである。これには多分に秘密があって、新しいということと、それから作ったジャムには防腐剤その他の商品としては必要だが自家製には必要でない添加物が入っていないせいと思われた。後述するコールドウェルの、文庫本で6ページ足らずの短篇小説に「苺の季節」というのがあるが(苺の季節・秋の求婚、角川文庫)、カリフォルニアの初夏は、苺の季節なのである。
 週にいちど近くの商店街の駐車場でファーマーズ・マーケットが開かれる。近在の農民が自分の畑でとれた作物を持ってきて売る青空マーケットだが、そこでは別に安いとも思われないが間違いなく新鮮な果物や野菜を買うことができる。もう苺の季節も終わりに近かったが、そこで熟し過ぎて格安の苺を4ポンド(2キロ)ほど買ってきた。8ドルであった。一方量販店で砂糖を一袋買ってきた。10ポンド入り(5キロ)の袋で、4ドル19セントであった。この国(アメリカ)では、砂糖のほうが米より安い。それにしても、これなら材料費は格安で済むというものだ。
 作り方は、当地のテレビで放映されている昔のマンガ「ちびまる子ちゃん」のなかで、おかあさんがまる子に教えていたやり方をそのまま使ってみた。要するに「苺をホーロー鍋に入れ、苺の半分の量の砂糖を加えて弱火で煮るだけ」というものである。
 私は万事大まかでいい加減な性格だから、全部目分量で材料を鍋に叩き込んで、弱火で1時間ほど煮てみたら、できた、できた。苺の香りのする、いい色の苺ジャムができた。焦げ付かないようにときどき木製のしゃもじでかき回すのと、形をととのえるために途中で苺をつぶすのだけが手間であった。最初から弱火だったので、時間がかかったのは仕方なかった。
 察するに苺の場合に鉄製の鍋を使うと色が濁って、きれいに仕上がらないらしい。ちょうどうちにホーロー引きの大鍋があってよかった。
手近のガラスの空き瓶に入れてみたが、まだちょっとゆるくて水っぽい。これではナイフでパンにつけるにしてもやりにくいだろうと思ったから、もういちど鍋に戻して、弱火でまた一時間ほど煮て、水気を飛ばした。こんどは粘着性のとろりとした、ナイフにも乗りやすそうないいジャムになったが、うっかり手を抜くと焦げ付かせる。焦げ付く前に火を止めなくてはならないから、鍋を火にかけたまま放っておく、というわけにはいかなかった。
 それにしてもアメリカは食料品の値段が安いので助かる。日本なら、苺も砂糖もこの値段ではとてもいかないに違いない。味を占めて、次は年中いつでも量販店で売っている冷凍の苺を使ってジャムを作ってみようと思っている。なまの苺を使った場合とくらべて、味に差が出るかどうか。さらに調子に乗って、季節になると豊富に出回るブルーベリーやリンゴやオレンジやぶどうを使ってジャム作りに挑戦してみようか、という気にもなってきた。なにしろ5キロで4ドル19セントの砂糖だから、惜しみなく使える。
 これで「苺」は、生でミルクと砂糖をかけて、匙で潰しながら食べる昔ながらのクラシックな味わい方だけでない苺ジャム作りをやってみてよかった。なにごとも経験ですねえ。
 以下は、いつもの書評日記に戻って、「tokyokidの書評日記・苺の季節(コールドウェル著・杉木喬訳)角川文庫」である。

【あらすじ】
 本書の題名は「苺の季節・秋の求婚」という。コールドウェルの短篇集である。「苺の季節」は、南部の苺畑で働く若い男女の恋のひとコマを描いた、いわば一幕物である。
【読みどころ】
 牧歌的、としかいいようのない、古き良き時代のアメリカがここにある。時代でいえば、大恐慌(一九二九・昭和4年)前後のことであろうか。主人公の「僕」と、誰にでも好かれる娘の「ファニ・フォーブス」の物語。男が女をからかうための「苺叩き」という、娘の着ているものの下に摘んだ苺を落とし込んで、手で叩いて潰してよろこぶという遊びがきっかけとなる恋の物語。当時の苺摘みの風景が、まるで自分もその苺摘みに参加しているような気分にさせる文章で綴られている。
【ひとこと】
 苺摘みは、腰をかがめなくてはならないから、つらい仕事である。いまではやりたがる人はいない。若いということは、その辛い作業も恋の舞台に変えてしまう。その作業のつらさと広い畑とそこで黙々と働く人たちの群れと、そのなかに交じる若い人たち。短篇だからこそ、この風景を読者の手の中にフッと軽く、確実に届けることができる。いまでは、不法移民がまじるメキシコ人の季節労働者しか見なくなってしまった風景だ。
【それはさておき】
 この短篇を読むと、誰しも若かりし頃の(または現在でも若い)自分の恋物語を思い浮かべるのではないか。短篇の書評は短くしてみた。□