tokyokidの書評・論評・日記

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書評・小説 日本婦道記

tokyokid2007-02-17

書評・★小説 日本婦道記(山本周五郎著)新潮文庫

【あらすじ】
「小説 日本婦道記」は、もともと著者が第二次世界大戦中の昭和十七年(一九四二)から敗戦の年の昭和二十年(一九四五)にかけて三十篇書いた短篇小説集であった。このうちからこの項の底本となった昭和三十三年初版発行の新潮文庫に掲載されることになって、著者が十一篇を自選したのがこの本である。いまとなれば「古風」としかいいようのない、私ども戦争を知っている世代の父母や祖父母の年代にはいくらでも見られた日本婦人の考え方がよくわかる小説集である。巻末の解説を書いた木村久邇典(きむら・くにのり)氏は、長年著者の編集担当だった人だが、その人の解説記事で著者から直接聞いた言葉として、第一作の「松の花」は著者の生母の、ほかの作品の多くは戦争末期急逝した前夫人の、日常の言動に触発されて書いた作品だ、とある。この事実上の直木賞受賞作品(後述)は、当時「つつましく、けなげに」生きた、日本の母や妻たちへの鎮魂の書、といえるであろう。評者としてはこれに「信念を持って」という言葉を付け加えたいと思う。ここに描かれた日本の婦人たちは、状況さえ判断すれば、考え方に疎漏はなかったのだ。この点についていえば、いま平成の時代を生きる「自由に解放された」女性たちから無条件の同意や賛同を得るということは、ほとんど不可能だと断言できる。しかしここには、明治から昭和にかけて生きた多くの母や妻の日常に発揮された深い考察があった。著者はそれを時代小説の形を借りて、われわれ読者に示した、とも考えられる。この小説に登場する人物たちのあらましは、そこはかとなく短篇ごとの題名にもよく表れていると思うので、その十一篇の題名を以下紹介しておく。「松の花」「箭竹」「梅咲きぬ」「不断草」「藪の陰」「糸車」「風鈴」「尾花川」「桃の井戸」「墨丸」「二十三年」。以上であるが、一見して感じられることは、これらはさすが山本周五郎らしく、印象的な名詞を使って短くしかも的確に内容を表す題名となっている。現在の文学作品や映画・テレビ番組の題名によく見られる、動詞や形容詞を入れた説明調の長い題名よりは、これらの短い題名のほうがはるかに端的に強い印象を与えると思うのは、評者ばかりであろうか。
【読みどころ】
 ここに出てくる主人公、すなわち「昔の」日本婦人は、昔の言葉でいえば「烈婦節婦」というべき婦人たちだろう。こういう人たちがいまでも居るかといえば、乱暴に結論から言ってしまえば、西暦二〇〇七年のいまもし生存しておられるとするなら、七十歳から八十歳を過ぎたお人たち以外には考えられない。この年代以上のご婦人がたのなかには、婚約者を結婚前に軍隊にとられて、そのまま生還されなかった経験を持ち、ご自分はそのまま一生独身を貫いた、という方が、評者の周りにも存在しているからだ。こういう生き方は、当時は珍しくもなかったし、だからこそ、烈婦節婦の生き方というべきだろう。もちろんそれより若いご婦人のなかにも、烈婦節婦と呼んでおかしくない方々もおられよう。でもその重さは、人の命がかかっているか、かかっていないかの差だけ違うのである。明治維新のとき、官軍に攻められた会津若松城武家の婦人たちが、戦いの後力尽きて自刃に及ぶとき、死後見苦しくないようにと、両膝をしばって家族のものに介錯された話や、第二次世界大戦の敗戦時に、米軍に追い詰められたグァム島で断崖から身を投げて死んだたくさんの婦人たちの話や、満州(現在の中国東北部)から軍隊にとられて主の居ない家族をとりまとめて引き揚げてこられた婦人たちなどこそ、命の懸かった烈婦節婦の生き方だった。それで第二次世界大戦のケースでは、こんにちただいまでも、その烈婦節婦のご婦人がたが日本の空の下で生きておられるかも知れないのである。そうした烈婦節婦をモデルにして、時代背景を江戸時代(と思われる)に設定して、つねに日陰の人に焦点を合わせ続けた著者が書いた「時代小説」が、この「小説 日本婦道記」なのである。
【ひとこと】
 山本周五郎の「小説 日本婦道記」は、第17回・直木賞に推されたが、著者が受賞を辞退したと伝えられる。当時は年2回の直木賞選考があって、この小説は上期の候補作に推されたが、作者はことあるごとに口にしていた「読者から与えられる以上の賞があるとは思えない」という確固たる信念に基づいて、一切の賞の受賞を辞退した、という実績を残した。ちなみに第17回上期の直木賞は先次世界大戦中の昭和十八年(一九四三)上期のことで、該当作品はなし、ということになっている。この時期の前後では、後年名を成した「村上元三」「木村荘十」「富田常雄」などの作家が直木賞を受賞している。山本周五郎という作家のあだなは「曲軒」というもので、狷介孤高な人柄であったと伝えられる(狷介とは意志の強いさま)。その著者が書いたのが、当時の日本人女性のあるべき姿の、そして実際に実践されてもいた「婦道」を描いたこの作品だったのだろう。
【それはさておき】
 冗談でも皮肉でもなく、評者はいまの芥川賞直木賞を受賞する、若い日本人女性作家に、この作品の読後感を問うてみたい。たった半世紀の違いで、どのような感想の違いがでるか、興味津々たるものがある。□