tokyokidの書評・論評・日記

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書評・フロイスの日本覚書

tokyokid2007-02-21

書評・★フロイスの日本覚書(松田毅一・E・ヨリッセン共著)中公新書

【あらすじ】
 この本の主人公である「ルイス・フロイス」は、一五三二年にスペイン・リスボンに生まれ、一五六三(永禄六年)に九州に来日、キリスト教カトリック派・イエズス会の会士・僧として信長、秀吉にも拝謁し、一五九七(慶長二年)に長崎のイエズス会修道院で息を引き取った。フロイスはその属する教派のローマ本部あてに大部の「日本史」「日本年報」など報告書類を執筆した人として知られる。この「フロイスの日本覚書」は、スペイン・マドリードの王立歴史学士院図書館で現物を閲覧した著者のひとり松田毅一が仮にそのように名付けた、フロイスの自筆とみられる四十ページのメモを解読・解説したものである。ただ文書作成者の署名はなく、一五八五(天正十三・この年秀吉関白となる・評者注)年六月十四日カズサにて識す」とあるとのことで、著者は見慣れた筆跡からフロイスの作成と判断しておられたようだ。「カズサ」は当時キリシタン布教の中心地であった長崎県島原半島南端の「加津佐」のことである。
【読みどころ】
 日本人の記録好きは世界でも一、二を争うと思われるが、カトリック教内部の報告書もこれに劣らない。それどころか、文書の保全・利用に関しては、完全にあちらのほうが上であるように思われる。当方の身分さえしっかりしていれば、その原文書に直接当ることができる点では、欧米の図書館のシステムは飛び抜けて完備しているということができる。フロイスの「日本覚書」はたった四十ページのメモではあるが、十六世紀当時に、ヨーロッパ人の目からみた日本に関する記述というのは、二十一世紀に突入したいまでも、非常に興味深い主題である。しかも(当時の)ヨーロッパと日本の風習などの状況を、比較しながら書いているとなれば、なおさらである。フロイスのメモ本文は十四章からなり、共著者(二人)はこれに詳細な補足と検討を加えて、当時の前後関係を復元することに努めている。目次から、この本自体は、
第一章・謎を秘めた文書
第二章・十六世紀以前のヨーロッパに伝えられた日本記事
第三章・「日本覚書」を読む
第四章・「ヨーロッパでは・・・」の補足と検討
第五章・日本とヨーロッパの風習の相違について
の五章からなり、メモの本文は第三章にまとめられてある。その記事は、日本人そのもののみならず、日常生活から戦争、乗馬、医薬、書物、家屋、航海、演劇などにも及び、文字通り微に入り細を穿って彼我の比較をしているところがまことに貴重な資料といえる。当時でも日本には当然公文書は存在しており、たとえば信長についていえば「信長公記」が存在するわけだが、一般国民の日常から入ったところの、日本とヨーロッパの差を論じた文書などは、明らかに公文書とは一線を画して画期的な文書ということができる。読者に四二〇有余年あまり前の日本を目の前に彷彿させて、措く能わざるものがある。
【ひとこと】
「日本覚書」そのものについてひとこと。この本を読むと、四百年の時間を超えて、人間の本質はそうそう変るものではない、ということがわかる。フロイスは最後の「先の諸章にうまくまとめられなかった、異風で特殊ないくつかのことについて」という章の30で、われら(ヨーロッパ人)においては、別れるときとか、外から帰って来ると、抱擁するのが習わしである。日本人はまったくそのようなことをせず、むしろ、そうするのを見ると笑う、と言う。これは平成のいまでも、大勢としては変らない風景であろう。でも記事などによれば、最近は電車の中やプラットホームで相擁してキスまでする日本人男女が現れたというから、日本も変りつつあるようだ。ともあれ、このような「目から鱗が落ちる」事例が、これでもかというほどに並んでいるのが本書である。
【それはさておき】
 著者の松田毅一(1921生〜1997没)は上智大学文学部を卒業、京都外国語大学の教授だった人であり、この種の文献を現実にヨーロッパに赴いて再発掘・再発見した人として知られる、いわゆる南蛮学の泰斗である。「フロイス 日本史」「近世初期日本関係南蛮史料の研究」「天正少年使節」など、この関係の著書も多い。共著者のE・ヨリッセンも「フロイスの小論(一五八五年)における日本像」と題する論文で、ケルン大学から学位を授与された人であるというから、フロイスのこのメモを解析するのに、これ以上の人材はなかったものと認められる。イエズス会士が残したこの時代の日本に関する文書は、いまでもヨーロッパに大量に存在するらしいが、書かれてからヨーロッパに運ばれるまでの数奇な運命と、いまに残る文書との出会いの興奮は、この本を読むことによって、読者のわれわれにも痛いほど伝わってくる。最後に付け加えれば、松田毅一には、この「フロイスの日本覚書」の姉妹篇ともいえる本がもう一冊ある。それは「南蛮資料の発見・松田毅一著・中公新書」である。この「南蛮資料探し」の知的興奮を著者といっしょに味わうために、ぜひ併読をお勧めしたい。□