tokyokidの書評・論評・日記

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書評・Oヘンリー短篇集(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)

tokyokid2007-01-27

書評・★O・ヘンリー短篇集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(O・ヘンリー著・大久保康雄訳)新潮文庫

【あらすじ】
 この文庫本は3冊に分冊されていて、どれにも著者の短篇が十篇前後入っている。一八六二年アメリカ・ノース・カロライナ州グリーンズボロ生れの著者は、一八六二年生れ、一九一〇年没。生涯に短篇ばかり二八〇篇余りの作品を残したといわれる。ニューヨークにも住み、ニューヨークを愛した短編作家としても有名。ここに収録されている作品のなかにも、ニューヨークに題材を求めたものが多い。では目次から、各分冊に収録されている作品の題名を挙げてみよう。
(Ⅰ)改心以上・黒鷲の失踪・多忙を極める仲買人のロマンス・家具つきの貸間・失われた混合酒・馭者台から・アラカルトの春・警官と讃美歌・賢者の贈物・黄金の神と恋の射手・魅力ある横顔・靴・船。
(Ⅱ)最後の一葉・桃源境の短期滞在客・ハーグレイヴスの二心(ふたごころ)・アイキイの惚れぐすり・シャルルロワルネッサンス・運命の道・赤い酋長の身代金・薔薇と暗号とロマンス。
(Ⅲ)ラッパの響き・運命の衝撃・記憶喪失症・心の灯・偽医師物語・自動車を待たせて・ゴム族の結婚・マディソン広場綺談・黒人街の悲劇・愛の奉仕・紫色のドレス。
そして最後に訳者の解説が入る。これらの短篇のひとつやふたつは、題名を見ただけで、読者諸賢の記憶の底から浮き上がってくる作品があるのではないか。
【読みどころ】
 O・ヘンリーの作品に出てくるニューヨークや、そのほかのアメリカ地方は、言うまでもなく十九世紀後半のものである。日本で言えば、明治初期から中期にかけて、ということになろうか。日本でも自分の小説のなかに、丹念に街のたたずまいや季節の移り変わり、それに食卓の情景や登場人物の人情などをごく自然に書き込むことのできる作家がいるが、O・ヘンリーもこの種の才能に恵まれた作家のひとりであったようだ。これらの短篇は、文庫本十頁前後の長さの作品が多いが、その中にこれらの情景を書き込める才能はなみの才能ではない。だからこそO・ヘンリーは短篇の名作家として名を残せたのだ。彼の代表作として取り上げられることの多い「最後の一葉」(Ⅱ部所収)を例にとると、ニューヨーク・ワシントン広場に近い芸術家村のグリニッチ(いまでもそうだ)、そこに住む肺炎を患って明日こそは自分の最後の日になるのではないかと思い悩む貧乏絵描きの娘、その娘をかいがいしく介護する同居の別の娘、脇役として肺炎の娘を来宅診察してくれる老医師、そして同じ建物に住む「いつかは傑作の絵を描くぞ」といいながら貧乏にかまけて一枚の絵も描けないうちに老人になってしまったかつての青年絵描き・・・そして暴風雨が襲って肺炎の娘のベッドから見える窓の外の蔦の葉がどんどん吹き飛ばされていくのを見て、肺炎の娘は自分の死期が近づいたことを予感するのだが・・・これらの道具立てを整えたところで、O・ヘンリーは得意の「最後のドンデン返し」の手法を持ち出して意外でしかもペーソスに満ちた情景を書き切って見せる。図らずして読者に人生を、また人の生きる意味を問いかけるこの巧みさというものは、やはりO・ヘンリーのすることだ、と大向こうを唸らせてしまうのである。
【ひとこと】
 人情の機微は日本人の専売特許ではない、それは洋の東西や人種を問わないことが、この短編集を読むとよくわかる。自分の主張ばかりを全面に押し出して、相手のことは二の次、三の次のように見える欧米人であっても、人情はあり、相手を思い遣り、そのためには自分を犠牲にして厭わない人が存在するものなのだ。そのようなごく当り前のことを、高校生のときにこの本を読んだ評者は学んだように思う。そのときまでは、日本人と外国人は考え方がまるきり違う、だから人情の機微などということは外国人には有り得ない資質なのだという、いわば無意識の認識が自分にあったのだろう。名作と単なる綴り方の違いは、作品を通じて読者に人生を語りかける、人生を考えさせる力が有るか無いか、ということではないだろうか。
【それはさておき】
 評者は古稀を迎えたから七十歳台である。だから自分が生れたときからの七十年余りの世間の出来事は、それなりに頭の中にある。たまたま、自分の生年から七十年前まで遡ると、それはO・ヘンリーがこれらの短篇を書いた明治初中期の時代に当る。それはちょうど自分の祖父母が生れた頃の話だ。祖父母のことはもちろん記憶にあるし、祖父母から聞かされた昔話も覚えている部分がある。この時代のことは、自分の目で直接見たわけではないが、親や祖父母の話の記憶から、それなりに自分で解釈できる時代の話である。こうして自分の生年を中心にして前後七十年間つまり通して百四十年間の時間の経過を考えてみると、人類および人類の住む世界の変化や大きさが知覚できて、その早さ・激しさには呆然とせざるを得ない。ひとつだけ例をとると、百四十年前には、まだ自動車も飛行機もこの世に現れていなかったのだ。それがどうだ。二〇〇七年現在、飛行機は軽く音速以上の速さで飛ぶし、世界中の自動車の保有台数は8億台を超えたと推定される。社会の変化は当然人情の変化を伴う。社会が変れば人情も変る。それでもなんでも、百四十年の時間や空間を超えて変らないものもあるのだろう。そのようなものを「真理」と名付けたい。そう思っている自分がここに居るのである。小説は小説であり、真実(史実)とはまた違う存在なのだが、O・ヘンリーの短篇を読むと、人の善意ということを考え、その存在を信じずにはいられなくなるのである。彼の短篇小説は、社会全体がゆったりとした生活を送ることができて何事にも急ぐ必要がなかった、人々が他人を思い遣るほどには余裕のあった、日本でいえば明治期の、古き良き時代のお伽話であった。誰しもこれらの短篇小説を読めば、肩から荷を下ろしたようにホッとすることであろう。これが二〇世紀に入って、第一次世界大戦第二次世界大戦を経て、技術革新が進められ、狂想曲を演じているほどに人々の生活が忙しくかつ余裕がなくなってくるのである。そしてその状態は近年益々顕著になりつつある。ついでながら、この書評の底本は昭和二八年(一九五三)初版発行の新潮文庫本であるが、いま新本では販売されていないらしい。このようないい古典を簡単には読めなくなった現代人はかわいそうである。□