tokyokidの書評・論評・日記

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日記191011・いまどきのさつま芋まずいまずい(=舟和の芋ようかんうまいうまい)

日記191011・いまどきのさつま芋まづいまづい(=舟和の芋ようかんうまいうまい)

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 天高く馬肥ゆる秋になった。昔なつかしい秋の味覚は「さつま芋」。戦時中は米不足を補う「代用食」の随一としてもてはやされた。いちばんうまかった品種は「金時」でこれは黄色い芋で、ほかにも白い「太白」という品種もあった。金時も太白もほくほくとした芋で料理してうまかっただけでなく、乾燥芋に加工しても歯切れよくうまかった。当時はなにしろ味よりも国民を飢えから救うため増産に次ぐ増産をしなければならなかったから、味は二の次三の次、ともかく大量にとれるだけが目的で、当時の農林省が開発した「農林一号」という、まずいが沢山出来るだけが取柄の芋もあった。俗に「三度びっくり芋」といわれていて、まずは肥料が少なくて育てやすいのでびっくり、次は収穫時にたくさん出来るのでびっくり、最後に食べてみるとあまりにまづいのでびっくり、の三度びっくり芋であった。だがこれらの芋に共通していたのは「ほくほくふっくらとした」歯ごたえのよさであった。芋であっても栗よりうまいくらいだ、というわけで「九里よりうまい十三里半」といわれたものであった。この謳い文句はいまでも焼芋屋の看板に見ることができる。

 それがいまどきの芋は「ほくほく」が一転して「もちもち」がもてはやされることになった。昔の芋は、たとえば乾燥芋に加工しても「ほくほく・すっきり感」でそれこそ栗よりうまいくらいだったが、いまどきの芋は「もちもち・ねっとり・べたべた感」だけなのだ。昔のさつま芋のうまさを知っているオレなんかは、こんなまづいべたべた芋なんて食いたくないよ。

 戦時中わたしが疎開していたのは埼玉の群馬県境に近い地域だったが、この地方では金時でも太白でも(もちろん農林一号でも)うまい芋がいくらでもできた。それが一転して昨今では、この地方ではもはやさつま芋を一切作らなくなってしまった。さつま芋では埼玉の農家は食っていけないものと見える。今では「金時」芋の名産地は淡路島の鳴門であるが、その値段の高いこと、目をむくくらいになった。でも味はいいので、年に一度くらいは取り寄せるが、さつま芋はもはや代用食にはなり得ない時代になった。

 先日関東産の乾燥芋を取り寄せて試してみたが、べっちょり芋が乾燥しただけのねとねと芋で、いちどで嫌気が差した。やはりさつま芋は蒸しても煮ても焼いても、ほくほくに限るね。こんないまどきの乾燥芋を食うくらいなら、舟和の芋羊羹を食ったほうがよっぽどうまいよ。読者諸賢はそうお思いになりませんか。□

(写真はネットから借用)

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