tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記190111・今年のおせち

日記190111・今年のおせち

f:id:tokyokid:20190111191226j:plain

 どちらさまも同じだっただろうが、昨年は9月末くらいから拙宅におせち料理の勧誘広告が DM で舞い込んだ。HP でもこの種の広告がずらり並んだ。いくら近年みな気が早くなったといっても、これは常軌を逸した季節外れの早さだった。自分のところの売上が伸びればあとはどうでもいい、一般の人々の正月やおせち料理に対する理解や常識を踏みにじってもかまわない、というおせち業界のひとりよがりであった、と言ってもいい。

 我が家では、主婦がおせちを作らなくなって(作れなくなって?)外注するのが恒例となってもう何年も経つ。この間世間のおせちはだんだん豪華になって、いままでのおせちは「和風おせち」として市場の片隅に追いやられる一方、「洋風おせち」「中華おせち」「有名店おせち」などが幅を利かせるようになった。なかには「保存食」であるべき「おせち」の常識を破るようなおせちも散見されるようになった。これでは正月の間、ふだんは忙しい主婦の手を休めるのが目的だったおせちの精神?にもとるだろう。ヘンな世の中になったものだ。

 どうせジジイとババアの二人だけだから、豪華でなくてもいい、だが和風にはこだわる。できれば従来の根菜や野菜の煮染めを中心に、日本古来の保存食でもある小魚の甘露煮やかまぼこや昆布巻きや煮豆や玉子焼が入っただけの小さなおせちでいい、もちろんデジタル食品でないおせちがいい、と探したのだがこれがなかなかない。もう私どもの親の世代が年末の忙しいときに半徹夜して作った、調味料といっては塩と醤油だけのおせちなんて、薬にしたくてもなくなってしまった。結局小さめのおせちをひとつ買って、足りない分は自家製、近所の店で買い足し、バラ売り通販の利用の三方法で事足りた。自分の重箱に盛り分ければ豪華絢爛、市販の最上等に勝るとも劣らないおせちができた。貧乏所帯には、おせちについてくるお重の容器代だって惜しいのだ。

 この日ばかりは右党の我が家もお屠蘇を用意して新年を祝い、一年の計を立て、先祖と将来を静かに思いやるのも恒例になった。ちなみに写真のおせちは我が家のおせちではない。

★せち雑煮三途手前の味の良さ(謝)□

(写真はネットから借用)

f:id:tokyokid:20190111191455j:plain

f:id:tokyokid:20190111191543j:plain