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日記170111・最近のおせち料理

tokyokid2017-01-11

日記170111・最近のおせち料理
 正月はどこの家でもおせちで祝うことだろう。でも戦後も七十年以上が経ち、状況が一変した。
 戦前から戦後でもせいぜい前回の東京オリンピックの頃までは、おせちは家庭料理のひとつだった。年末になると母や祖母が台所に立ち、野菜や魚介や肉類を使って、三が日の間台所に立つ必要が最小限で済むように、日持ちのするおせち料理を作るのに腕を振るったものだった。半世紀前までの話である。
 それがいまでは、おせち料理は外部から買い求めるものになった。家庭の主婦たちは、もうおせちを自宅で作らなくなった。戦後「三種の神器」といわれたテレビ、洗濯機、冷蔵庫に加えて電気掃除機やマイクロウェーブ・オーブン、食器洗い機やクッキング・ヒーターなど、主婦の省力化は相当程度進んだというのに、食材から調理する喜びを知る主婦の数はほとんど絶滅したといえるほど減ってしまったようだ。いま自宅の台所に立っておせちを自分で作る主婦はほとんどいない。
 半世紀にわたっておせち製造販売業者は知識と経験をたくわえ、見た目豪華で販売単価は張るおせち料理を開発することに成功した。だからいま市場で買ってくるおせち料理は、和洋中など昔はなかった分野の料理も取り入れて、豪華絢爛で高価なものに変わった。昔おばあちゃんが作ってくれた素朴な牛蒡や人参や里芋の煮ころがしや昆布巻きや全熟玉子や黒豆や沙魚の甘露煮や伊達巻や田作、それに肝腎の雑煮があった。おばあちゃんたちが外から買ったのは、数の子くらいなものだったのではなかっただろうか。
 商業主義に席巻されたのは、なにもクリスマスやハロウィーンだけではない。正月も同様だ。いまはハムやソーセージなど肉類をふんだんに使ったエセおせちより、たった半世紀前にうちのおばあちゃんが作ってくれた素朴な家庭料理のおせちの味がたまらなくなつかしい。□(写真はネットから借用)