tokyokidの書評・論評・日記

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コラム・わたしのアメリカ観察 18

tokyokid2012-03-04

昭和43年(1968)のアメリカ観察

◆以下の文章は、1968年に筆者が生れて初めてアメリカに出張したあとで、当時の勤務先の社内報に発表した、いわば「半世紀前の」「アメリカ見聞記」である。このころは1ドル360円の為替レートであり、海外持ち出し外貨の限度額も、金額は忘れたが、決められていた。

 六個月にわたるアメリカでの仕事を終えて、去る一月中旬帰国した。日本にくらべて、生活環境、国土面積ともに桁違いに余裕のある大きな国であるとつくづく感じた次第。

【広いアメリカ】
 日本の全国土を合せても、カリフォルニア一州の広さにも及ばないというのだから、アメリカは広い。東海岸と西海岸の間には、なんと三時間の時差があるし、景色、湖、河(川という字を使うのは気がひける)、道路、家、自動車、冷蔵庫に至るまでなんでもデッカイのでいやになる。ニューヨーク・マンハッタンの西側にハドソン河が流れているが、この河に客船としては世界で四番目くらいの大きさのユナイテッド・ステーツ号(五万二千トン)がかなりの速度でさかのぼっていくのを見て驚いた。アメリカの大河はなにもミシシッピ河に限ったことではないらしい。

【日本に対する認識の程度】
 一般に日本人がエチオピア人に対して持っている認識と同程度と考えていい。日本に来たことのないアメリカ人、老若男女十五人に、日本に地下鉄があると思うかと聞いたところ、あると思うと答えたのは僅か二人しかいなかった。余り癪にさわったから、日本の地下鉄はニュー・ヨークのよりもずっときれいだと教えてやった。また我社提携先のS社の社員でも、日本の工場には旋盤があるかと聞いたヤツがいるということだ。どうも日本はフジヤマとゲイシャ以外には、アメリカではあまり知られていないらしい。日本の海外PR不足を嘆くべきか、それとも知らしめるにはアメリカは広すぎると考えるべきか。

【時間の観念】
 時は金なりの言葉があるが、アメリカ人が約束の時間を文字通り一分も違えず守るのは、全く見事なものだ。彼らは人を待たせることを、人の時間を盗むことであると解釈し、間違っても罪悪を犯すようなことはしない。同様に約束したことは必ず実行する。時間でも事項でも、約束したことが果たせなくなったときは、必ず連絡する。例外はない。但し彼らに約束させることは、大変な努力を必要とする。
【意外だったこと】
 東京ほどでないにしても、ニュー・ヨークのタクシーの運転はまことに荒っぽい。また歩行者は赤信号であっても、車が来なければどんどん横断してしまう。おまわりさんも同様。また日本ほどでないにしても、物価の値上がりは相当に激しく、インフレと言えそうである。つい二年ほど前、ニュー・ヨークの地下鉄料金は長年の十五セントから二十セントに値上げされたそうだが、この四月には二十五セントに再値上げされそう雲行きである。地下鉄といえば、切符を売る出札口は牢屋の鉄格子みたいな感じで厳重に守られている。極悪犯罪の多い国ならではの風景で、この点日本はまだよいと思った。

【ニュー・イングランドの秋】
 東海岸の北部、ニュー・イングランドの諸州は、秋になると紅葉や黄葉にいろどられて、それこそ絵に描いたように美しい。抜けるような空の青さ、サラリとした感触の空気、深い緑色の海、起伏のあるニュー・イングランドの秋の木々の間に見える、おとぎ話に出てくるような家と芝生とどこまでも続く白い道を点景にした、極彩色の絵そのものである。ニュー・イングランド地方については、犬養道子女史の好著「私のアメリカ」の一読を強くおすすめする。

【パーティ】
 アメリカ人はパーティが好きだ。それでも最近は戦前にくらべて、減ったそうだ。パーティが開かれるのはたいてい金曜か土曜の夜。なんらかの形で仕事につながるものであればカクテル・パーティであることが多いが、演劇や音楽のアマチュア・グループのメンバーが発表会のあとで開くのは持ち込みパーティ。これはそのグループの誰かが場所とつまみを用意するが、飲み物は各自が自分の飲み分、例えばスカッチ・ウィスキーを自分で持参して自分で飲む形式。気心の知れた相手ばかりのパーティであるから、すべて自由なペースで楽しいことこの上なしである。一度どこかでブリッジかポーカーのパーティに招かれてみたいと思ったが、このほうは機会が得られずまことに残念であった。パーティには、既婚組は必ず夫婦同伴で出席するのが原則とのことで、もし片方しか出ないと、あの夫婦は危機一髪なのではないかと勘ぐられるのがオチの由。

【メシが不味いということは】
 アメリカの食事はまずいということは、日本ではもはや定説のようであるが、払うべきものを払えば意外にうまいものが食えるのも事実である。もっとも肉のにおいを嗅いだだけでダウンされるような御仁は絶望的である。安くてうまいものは、ハンバーガー・サンドイッチ、ホットドッグ、アイスクリーム、ミルクセーキ等々。ミルクセーキなどは二十五セント(約百円)で、苺とミルクと砂糖の入ったヤツが、間違いなく三合はもらえる。アメリカの味と量である。

バーの勘定書】
 アメリカは呑み助の天国である。バーの勘定書が安いからである。これには理由がる。アメリカのバーには女性がいないので、女性の人件費と女性が飲む分の支払は日本より安いのであろう。見聞した範囲にはなかったが、もしアメリカで日本的な女性のサービスを提供するバーがあるなら、そのバーの勘定書は天文学的な数字になることは間違いなしである。かの有名なプレイボーイ・クラブでさえ、あのカッコいいバニー・ガールの仕事はウエイトレスと同様客に飲み物を運ぶだけで、視覚の対象になることはっても触覚の対象にはならないと聞く。

【ミニスカート】
 なんと東京のお嬢さんたちのスカートの丈の長いことよ、である。もっとも最近札幌から東京に転勤してきた筆者の友人は、東京の女性のスカートは短いとしきりに感心していた。そんなものかな。アメリカの女性でも、ミニを愛用し着るとかわいいのは、若い女性に限られる。二十五歳を過ぎた女性がミニを着るときは、気分転換にミニを楽しむ、といった風情である。いずれにしても、スカートがミニになればなるほど長くなる丸い柱を計る円周率は、彼我に大きな差があるとみた。やっぱり日本女性は着物姿がいちばん美しい。嘘ではありません。(この稿終り)

 ・・・・・・・これがいまから約四十五年前のアメリカの印象であった。そのころと今とくらべれば、次のようなことが指摘できるかと思われる。

1. この半世紀で、アメリカの人口は大幅に増えた。街でもどこでも、人の痕跡が増えた。添付の写真は当時のサンフランシスコ空港であるが、半世紀後のいまと混雑ぶりをくらべてみれば一目瞭然である。空港を利用する人と車の数もさることながら、いまはターミナルそのものが、当時の何倍かの建物になってしまった。別の例でいえば、なにしろいまではデス・バレー(死の谷)のなかにも、住宅地ができてしまう時代なのだから。

2. 原子力船に関しても、アメリカと日本は同じような失敗の経験を重ねたことになる。「ユナイテッド・ステーツ号」と「むつ」である。現在原子力の商船は存在しなくても、潜水艦や空母などの軍艦は多数存在する。ということは、原子力を利用するのは、経済的な利益は度外視しないとできないのではないだろうか。人類はそのことをこの半世紀で学んだのだろう。

3. 時間の観念についていえば、日本もビジネスの世界ではアメリカ並みになってきた。でも地方にいけば○○時間などという、その地方特有の個別時間がいまだに存在するところも少なくないようだ。

4. タクシーの運転マナーは、この半世紀で完全に逆転した。いまは東京で「神風タクシー」を見つけるのはむずかしい。ニュー・ヨークではいくらでも見ることができそうだ。

5. 一九六七年当時25セントだったニュー・ヨーク地下鉄のいま(二〇一二年現在)の料金は2ドル25セント。高齢者は約半額とのこと。平時のインフレ率は10年間で1.5倍から2倍くらいだから、2倍とすれば25セントの4乗で4ドル。1.5倍とすれば1ドル25セント。四十数年後のいま2ドル25セントであれば実際にはこの中間値で、インフレ率とはやはりこんなところか。

6. パーティも、このところアメリカでも正式の家庭パーティはほとんどなくなった。みな略式のポット・ラック(参加者各自持ち込み方式)になってしまった。もちろん出席するのに正装などしなくなってしまった。

7. 食物文化についていえば、量と値段において、アメリカと日本では比較にならない。当時と現在で状況はまったく変っていないのである。事情は逆だが、味についても同様である。

8. バーについていえば、この半世紀で日本側の事情が一変した。女性がはべる日本式のバーは、いまでは日本ですら数が激減してしまった。失われた二十年の不景気が、接待族を絶滅の危機に追い込んでしまったからである。

9. ミニスカートは、いまや話題にもならない。半世紀前はまだまだ明治・大正生まれの人が多くて、服装も保守的だったから、ある程度話題になり得たのであろう。□

*写真は1967年(昭和42)当時のサンフランシスコ空港国際ターミナル・ビル。