tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

書評・にごりえ・たけくらべ

tokyokid2006-12-09

書評・★にごりえたけくらべ樋口一葉著)岩波文庫

【あらすじ】
にごりえ」と「たけくらべ」は、夭折した樋口一葉の晩年の代表作で、彼女のもっとも知られた作品ということができる。「にごりえ」で一葉は、色里の銘酒屋の女・お力が愛人・結城という者がありながら、自分に入れ揚げた揚句に落ちぶれた源七に殺されるはかない生涯を描いた。「たけくらべ」では、同じ東京の下町を舞台にしているが、これはいまでいえば、中学生・高校生くらいの齢まわりの若い人たちの異性への関心と、相手を見る目とその反応・習俗を語って余すところがない。これらの物語が、明治初期の東京の風俗とともに、「流麗な」一葉の文章によって描かれた。紫式部清少納言と並んで、日本が誇り得る女流文学中の白眉といえる。
【読みどころ】
にごりえ」「たけくらべ」の両篇とも、一葉の作り上げた話の骨格もさることながら、流れるような明治期の文章とも相俟って力作の名に恥じない仕上がりだ。評者はたまたま岩波文庫版の「初版(昭和2年・1927発行、第24刷)」と「再販(昭和36年・1961発行、第83刷)」を読み比べているが、「にごりえ」の初版は「一葉全集初版」に拠ったとあり、再版は「文庫本を読みやすいように書き改めた」日本語文章である。前者より後者のほうが、思いなしか読むコクが薄いように思われるのは、評者のひがめだろうか。明治の繁字体例えば「榮」と、戦後の簡略字「栄」の違いだけではないと思われる。一葉の春の小川の水が流れるような文体の美しさは、同時期の例えば幸田露伴の「五重の塔」と比べてみるとよくわかる。題名からして一葉は「にごりえ」「たけくらべ」と仮名書きだし(男なら「濁り絵」「丈比べ」だろう)、露伴は「五重の塔」と漢字表記である。かれらはちゃんと平安以来の「男は漢字、女は仮名」の伝統を守っているのである。その点、男のせりふも女のせりふも、また書き言葉(文語)も話し言葉(口語)も、ともに同じような(男)言葉遣いになってしまった現在の日本語からは、男女の(言葉によって表される)機微というものが失われて久しい。それがここでは生き生きと言葉が息づいている。ともあれ、一流の女性と一流の男性が書く明治の一流日本語の美しさを、一葉と露伴の文章で比べてみようか。
(一葉)廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝(どぶ)に燈火(ともしび)うつる三階の騒ぎも手に取る如く、・・・・・(後略・たけくらべの書き出し)
露伴)木理(もくめ)美(うるわ)しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳(がんじょう)作りの長火鉢に対(むか)ひて話し敵(がたき)もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、・・・・・(後略・五重の塔の書き出し)
同じ美文でも、いかに男と女の書く文体では、感じが違ってくることか。
閑話休題
評論家のなかには、「にごりえ」のお力に一葉を、そして彼女の愛人の結城朝之助を桃水に擬する向きがあるが、それはそうなのかも知れないと思って読むと、一層興趣をそそられる(次項参照)。それにしても、明治20年代に25歳前だった一葉の日本語と、いま(21世紀初頭)どきの女子大生の日本語を、比べるも愚か、ということだ。
【ひとこと】
 樋口一葉は明治5年(1872)生まれ、没年明治29年(1896)。数え年でわずか25歳までの生涯であった。本名は奈津(夏子)。一葉の文学の師であり、朝日新聞の記者でもあった半井桃水(1860〜1926)への思慕があったことは有名。一葉は、下級官吏の娘で、一生涯貧苦と闘わねばならぬ境遇にあったから、いっそうこれらの作品の目線が、いわゆる社会の弱者に向けられたのかも知れない。これらの作品を書いた頃、つまり晩年の一葉は、自分の生きている明治期の現実を、そこで現実に生きている人々の生活を自らの言葉で描こうとしたのではなかろうか。文中の人物像が、いま読者の目の前で、生き生きと動いているように見えるのは、そのためだろう。
【それはさておき】
 平安時代から明治期を経て太平洋戦争前後(昭和20年・1945年敗戦)までの日本語と、昭和から平成へと戦後60年以上経ってこの間の日本語の変りようを比べると、時代のテンポというものがいかに異なっていたことか、後になればなるほど、どれほど変化が激しくなっていったかを感知することができる。平安から明治までざっと千年、明治から平成の今日までざっと百年である。この間百年の日本語の変りようというものは、その前千年の変りように匹敵するものであっただろう。われわれがこの激動の時代に生きているのも、それはそれで、苦労の多い人生なのである。余談ながら、冒頭写真版で掲げた岩波文庫表紙カバー画の美人画は、鏑木清方描くところの「たけくらべの美登利」、「苦楽」誌1948(昭和23年)掲載の絵である。□