tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記210125・お米のご飯

日記210125・お米のご飯

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 日本は瑞穂の国。お米の国だ。でも最近とくに消費量が減っているという。

 日系アメリカ人はふつう二世と呼ばれるが、いまは6世、7世の時代になっている。当然日本語はしゃべれない。その日系アメリカ人でさえ、単語の「むすび」は知っている。明治以降(一部は幕末から)いつアメリカに入国した家族を先祖に持つかはその人によるが、明治・大正に移民した当時の人たちは「おにぎり」と言わず「おむすび」と言っていたのだろう。だから令和の今、「むすび」の単語だけが残った。

 二世たち以降の日系アメリカ人にとっては、もはや米の味はわからないらしい。白人のアメリカ人はおにぎりを食うと「ペーストを食べているみたいだ」と言う。つまり「糊を食べているようだ」ということだ。どうも二世たちの米の味覚もそんなものらしい。だから彼らにとってはチャーハンや交ぜご飯など、ご飯自体に味がついているほうが食べやすいらしい。いわゆる「12菜」などおかずとともにメシを食うわれわれの食習慣とは違う。

 アメリカでもステーキはごちそうだが、日本とは付け合わせが違う。アメリカでは黙っていても茹でたまたは蒸した大きなアイダホ・ポテトが付くが、あとはロールパンというのが普通だ。もちろん人参やえんどう豆やコーンなどがつくこともある。ところがここでわれわれ日本人は白いコメのメシをつけてもらいたいのだが、それは果たしてもらえない場合が多い。まことに残念なことである。

 コメさえあれば、日本人は生きておれる。飽食の時代になって、若い人を中心にコメから離れはしたが、それでもコメは食生活の中心なのだ。でもこう外圧が強いと、日本人もほんとうにコメを食わなくなってしまうかも知れない。ま、そのころ私はこの世にいないからいいけれどね。戦後間もなく戦争花嫁としてアメリカに渡りいまは寡婦となって静かに彼の地に家族と暮す老女の川柳句にこういうのがある。

★運動会父の握った塩むすび(南加文女)

この句は現地の川柳コンテストで一位をとった。□(写真はネットから借用)

日記201223・日本人は宗教を差別しないが

日記201223・日本人は宗教を差別しないが

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 よく「日本人は宗教で差別しない」といわれるが、その本質は、宗教に限らず異質にぜんぜん警戒心を持たないからのことではないのか。日本人はよほど特殊な場合でない限り、ほかの人に警戒心を抱く必要がないのだ。だから万事無防備なのである。現在の国際情勢や、日本の対応を見ていて、私にはそう思える。

 日本人は産まれるとすぐ神社に参拝する。七五三も神社だ。だが結婚となると、神社で挙式する人も多いがキリスト教の教会で挙式する人も多い。仏前結婚式だって存在するのである。これを無定見と見る外国人は多いが、私は日本人の心が寛容で、いいものはなんでも取り入れるのにやぶさかでない美質によるものだと思う。教祖を同じくするのに、「汝、他の宗教を信じるなかれ」のひとことを信奉して、もう何千年も殺し合いを続けるキリスト教イスラム教、ユダヤ教の在り方を見ていると、つくづく日本人は寛容の美徳を備えていると思わざるを得ない。自分が仏教の信徒で、隣がキリスト教の信徒であるからと言って、果し合いで斬り殺すなどということは、特別な理由がない限り有り得ないことなのである。

 もうすぐクリスマス。いい音楽を聴いて、正月になったら近所の神社に初詣でをして、彼岸になったら先祖の墓参りをしよう。それになんの疑問があるのか。だから今日はクリスマスのいい音楽を聴こう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=LcfWiw0MVFs

 

https://www.youtube.com/watch?v=BTQKU6uUBjU

 

https://www.youtube.com/watch?v=8VfYKmJkxl0

 

https://www.youtube.com/watch?v=3d4xXvF2ukY

 

 キリスト教徒だって戦争をしていないときは、こんなに平和な音楽を聴いているのだ。いい音楽は魂を浄化する。いい音楽を一緒に聴いてくれて有難う。□(動画と写真はネットから借用)

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日記201210・イタリア映画「道」

日記201210・イタリア映画「道」

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 読者諸賢は日本初公開・昭和32(1957)年のアカデミー賞受賞作・イタリア映画「道」を覚えておられるだろうか。ニーノ・ロータのトランペットの主題歌・ジェルソミーナとともにまだ覚えておられる方は多いだろう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=XRzzd4wLgc4

 

 キャストはジュリエット・マシーナ(ジェルソミーナ)、アンソニー・クイン(ザンパノ)、監督は名監督の名をほしいままにしたフェディリコ・フェリーニ。この映画のあらすじはこうだ。

 戦後のイタリアの貧しい家庭で、口減らしのために知恵遅れの娘・ジェルソミーナを売らざるを得なくなってしまう。引き取ったのは力自慢が売り物の大道芸人のザンパノで、彼の助手として旅回りに出る。粗暴で女好きなザンパノのもとからジェルソミーナは逃げ出すが、捕まって連れ戻されてしまう。そんなとき、2人はサーカス団と合流することになり、ジェルソミーナは綱渡りの陽気な青年と親しくなる。悲しい生涯を青年の言葉に励まされて、ザンパノのもとで生きていくことを決意するジェルソミーナだったが・・・・・・・・・。

 このあと、この映画は、目の前にある幸せが目に入らない人間という愚かな生き物を存分に見せつけてくれる。もしかするとあなたも私も、同じような愚かな生き物なのかも知れない、と思わされる。戦後この当時のイタリア映画は傑作のオンパレードで、「自転車泥棒」、「苦い米」、「汚れなき悪戯」、「明日では遅すぎる」など、映画好きの私どもを堪能させてくれたものだった。ゲームもパソコンもなかった約65年前の話である。□(動画と写真はネットから借用)

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日記201125・八連隊

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 さきほど亡くなった作家の田辺聖子は、幼少の頃「またも負けたか八連隊、それじゃ勲章くれんたい」とほかのこどもと遊びながら歌っていたという。戦前の話で、八連隊は京都の連隊、、という説明もついていた。戦前はこどもが他家のこどもと集団で遊ぶのは当り前、たいていのことは子供同士で処理していたから、それなりの自律精神も育まれていたわけだ。それがいつの頃からか、多分前回の東京オリンピックのあった昭和 391964)年頃から後の話であったと思われるが、経済の高度成長期に当り、子供の数も少なくなり、子供の遊び場であった近所の空地も次々とつぶされて住宅が立ち並んでいった頃以降のことだったが、だんだん子供を甘やかす風潮が出来上がった。こうして日本の子供は遊び場を失くしていったと同時に家庭内に閉じこもるようになり、友達に教わった言葉を覚える機会も失っていった。マッカーサーの愚民政策、それに乗った一部の文部官僚の日本文化軽視政策が相乗効果を発揮してたった2千字の当用漢字制度や国語軽視政策が今日の日本語もできない小学生に外国語である英語を教えるなどという教育の迷走ぶりを発揮することになった。まさに亡国の兆である。

 人間の能力はバカにしたものではない。乳幼児のとき無心に歌っていた歌の文句は知らなくても、その子の頭にはちゃんと単語が収まっている。先ほどの「八連隊」がそうだ。田辺聖子は女の子。それでも死ぬまで八連隊の歌も忘れなかった。意味はあとからついてきたのである。マッカーサーの愚民政策なぞに踊らされることはないのだ。この辺で戦後の誤った政策を改めないと、これからの日本人がバカを見ることになるぞ。小学生には英語を教えるのを止めて日本語を教えるべきだ。そして自分の意見を人前でまとめて言えるように教育するときだ。そうでないと国際感覚を備えた日本人はいつまで経っても育成されないだろう。□(写真はネットから借用)

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日記201110・チゴイネルワイゼンふたつの演奏

日記201110チゴイネルワイゼンふたつの演奏

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 戦前の話だが、私の親父は出征前サラリーマンをしていた。当時珍しい学士様で、会社でも将来を嘱望されていたそうだが、昭和17年に応召、19年に戦死で帰らぬ人となった。この人が物珍しいモノが好きな人で、当時は家一軒よりも高ったといわれた蓄音機やカメラがゴロゴロしていた。これらは戦後食糧難の時代にわれわれ兄弟の胃袋に納まってしまったのだが、そのレコード・コレクションの中にサラサーテの「チゴイネルワイゼン」があった。ハイフェッツだか誰か有名なバイオリニストの演奏だった。当時のレコードは78回転の SP だったから、音質はいまとは比ぶべくもなかったが、私はこの手回し蓄音機を自分で操作できるのをいいことに、昼間誰もいないときにこのレッコードをかけて繰返し聴いていたものだった。そういえば、戦時中で金属はみな供出となり、竹針を使っていたっけな。読者諸賢は竹針なんてご存知だろうか。

チゴイネルワイゼン」とは「ジプシーの人たちの旋律」という意味だそうだが、きょうは対照的な二つの演奏を聴いていただく。「今が盛りの花の人たち」と「枯れ木も山の賑わい」とは言わないが老練円熟の域に達した人の演奏だ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=-My4X_OBNtI

https://www.youtube.com/watch?v=uGXArQJA3Po

 

 いかがでしたか。私はすっかり「老練」さんの演奏中の鷹の目と、演奏が終わってのすばらしい笑顔に魅せられてしまった。若くて武人もいいが、人生をすっかり盛り込んだ演奏には鬼気迫るものがある。ジプシー音楽の悲しみに満ちた旋律と相まって、人生を全うできなかった親父の生涯と重ね合わせて、私には万感迫る旋律なのだ。□(動画と写真はネットから借用)

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