tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記191111・ケチなみかん箱

日記191111・ケチなみかん箱

f:id:tokyokid:20191111001627j:plain

 昔は、さよう、戦後しばらく経って前の東京オリンピックが開かれる頃までは、リンゴ箱もミカン箱も木製だった。大きさに明らかな差があり、人目でリンゴ箱かミカン箱か識別することができた。もちらん中身同様リンゴ箱のほうが大きかったのであった。その後段ボール箱が普及するにつれて、木製の箱は使われなくなった。つまりすたれたのである。

 話をミカン箱にしぼる。段ボール箱がミカン箱になってしばらくの間、さよう、昭和から平成の前半にかけてであっただろうか、ミカン箱といえば10キロ詰めが定番であった。知合いからミカンがとどくということは、多く10キロ詰めのミカン箱が届くことであり、相当大人数の家でも、10キロのミカンは相当長い時間楽しめたものである。さよう、年末に届けば、少なくとも正月の松の内くらいは家族全体でミカンを楽しめたものだった。

 それがどうだ。いま贈答用のミカン箱には、半分の薄さの箱つまり5キロ詰めの小さなミカン箱が幅を利かせている。美麗な箱入り、と銘打って2キロの化粧箱入りのミカンまで売られている。なるほどミカン大きくて見栄えはするが、たったこれっぽっち? さよう、安倍政権のインフレでミカンも値段が上がり、庶民が10キロ入りのミカン箱を気安くやりとりできる時代ではなくなったのだ。量が半分になって、値段はそのままだとすると、価格は二倍になったことになる。いまは大体そんなところか。また若い人はミカンやリンゴを食べるよりも、ケーキだタルトだスイーツだと、嗜好も変ってしまったものだろう。すでにミカンが正月の炬燵に乗った主役の座から滑り落ちてから長い時間が経った。

 そしてこのケチな5キロ入り段ボール・ミカン箱の登場である。さよう、昭和のいい時代は過ぎ去ってしまったのだ。私が10キロ入りの大きな、ケチでない、ミカン箱にこだわるのは、正月にはたっぷりとミカンを味わいたいからなのに、時代は変ってしまったらしい。老兵は消えろ、ということなのかな。□

(写真はネットから借用、最後から2キロ、5キロ、10キロ)

f:id:tokyokid:20191111001656j:plain

f:id:tokyokid:20191111001726j:plain

f:id:tokyokid:20191111001748j:plain

f:id:tokyokid:20191111001816j:plain