tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記171111・消えた沙魚(はぜ)とままかり

tokyokid2017-11-11

日記171111・消えた沙魚(はぜ)とままかり
 日本の秋の味覚は、まことに豊富である。佃煮ひとつとっても、例年ならこの時期には沙魚(はぜ)が登場するのが毎年のならわしだ。ところが今年は、東京の佃煮屋を何
軒か当たってもどこも置いていない。まいとし秋になると沙魚の佃煮メシを食うのを無上の楽しみとしているこちとらにとっては、まことに残念な現状なのだ。察するに江戸前の沙魚は姿を消してしまったらしい。
いまから約七十年前、小学生だった私は、自宅近くの鮫洲の自動車試験場に行ってよく沙魚を釣ったものだ。写真で見るとおり、沙魚は愛嬌のある顔付きをしていて、食べるとうまい。この魚は妙なくせがあって、魚のくせに、日当たりのいいときは陽に温まった石やコンクリートの上に上がって日向ぼっこをするのである。気配を感じるとすぐ海に潜ってしまう。東京湾に面した自動車試験場のコンクリート壁付近には、当時いくらでも沙魚がいて、子供の私にも容易に釣れた。もちろん佃煮屋にいけば、この時期いくらでも沙魚の佃煮を売っていたものであった。
 このところ魚の不漁が続いている。今年もサケ、サンマ、アジなど、軒並み不漁が伝えられ、スーパーに行っても焼き魚の秋刀魚を売っていない。中国人や韓国人がこれらの魚を食うようになって、北太平洋にまで大船団で出張って取りまくるものだから、魚がいなくなってしまったのだろう。現に昨年の秋刀魚も、例年になく小型であった。つまり秋刀魚が回遊して成長するまで待てないで途中で取ってしまうのだという。だがハゼやイワシやサンマやアジなどいわゆる大衆魚が絶滅危惧種だなんて、考えるだけでもご免こうむる。アジなどの沿岸魚まで取れなくなるということは、魚資源が世界中で枯渇しかかっているのではないか。もしそうであれば、とりあえず魚卵を取ることから禁止すべきだ。著作権など他人の権利を侵害することをなんとも思わない国であれば、協定を結ぶのも楽ではないと思われるが、手を束ねて全滅を待つよりはいい。アメリカのシーシェパードも、鯨だけに目を向けずに、魚全体に目を配ったらどうだろう。魚を食わない民族にとっては、関係のない話だろうか。
 岡山のままかり酢漬けの老舗で買おうとしたら、ままかりは品薄のために当面酢漬けはつくれないと断り書きがあった。クジラはダメ、サケ・マスもダメ、イワシもサンマも小型で不漁、沿海魚のサバもアジもそのとおり、それに海岸魚の沙魚もままかりも品薄で佃煮も酢漬けもできないとなると、日本国民たる私はなんの魚を食べたらいいのか。水産庁と外務省はしっかり仕事してくれい。□
(写真はネットから借用)