tokyokidの書評・論評・日記

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日記180901犬の次は人間のいじめ

tokyokid2018-09-01

180901・犬の次は人間のいじめ
8月21日は、あの暑さで気がついたら期日を過ぎていた。已むなく夏休みをいただくことにして一回分抜かしました。申訳ありません。
で、こんな話を聞いた。ある老婦人が小さな愛犬を抱いてドッグランに行った。犬を遊ばせていると、いかにもそれらしい風体の若夫婦が三歳ほどの男の子を連れてやってきた。その三歳児は、老婦人の愛犬に近づくと矢庭に犬の胴を蹴り始めた。その間その子の両親は見ていてもなにも注意しない。老婦人はたまりかねて自分の犬を抱き上げてドックランを去った、というのだ。
 この話を聞いて、ある兄弟のことを思い出した。ここは男、女、男、男の四人兄弟で、長男と長女、次男と三男の年齢がそれぞれ比較的離れている。この兄弟の長女と次男はグルになって末弟の三男を理由もなくいじめる。子供のときからそうだった。三男は長男に助けを求め、結果としてこの兄弟は成人してからも長女と次男、長男と三男のコンビが崩れず人生の終末期を迎える齢になっている。次男が三男をいじめだしたのは、次男が保育園に入ってからのことだったらしい。そのころは戦後の食糧事情が極端に悪いころで、保育園でも家庭で弁当を用意してもたせるのが規則だった。次男は毎朝弁当を持って家を出るのだが、そのうちに保育園には行かないようになり、途中の寺や大きな邸の庭園などに入り込んで時間をつぶし、夕方になるとなにくわぬ顔で帰宅するようになった。いまでいう不登校である。そのころ次男は相手がちょっと手を動かすと自分の右手を反射的に挙げて顔をかばう姿勢をとるようになったのを長男は覚えていた。今にして思えば、この頃次男は保育園でひどいいじめに会い、そのウップンを年端もいかぬ三男に向けて晴らしていたのではいかと、長男はこの話を聞いていまさらながらに気が付いたそうだ。あるいはそうだったかも知れない。
 冒頭のドッグランの話をしながら、その老婦人は「私の犬をいじめた三歳児は、きっと家庭で厳しい親のしつけにでもあって、体罰をふるわれる結果、自分よりも弱い私の犬を蹴ることでウサをはらしていたのではなかろうか」と言っておられた。おそらくその通りであろう。でなければ幼児が理由もなく自分より弱い犬を蹴っていじめることはしないだろう。だとすれば、この子は親を含めて人の愛情に接した経験がない、という不幸な環境に置かれていたのかも知れない。
 してみると、老婦人の愛犬をいじめた三歳児と、三男をいじめた四人兄弟の次男の行動パターンはみごとに一致する。この状況に気が付かなかったのは自分の責任だった、と長男は今でも自分を責めている。四人兄弟の誰にとってももうそれぞれの人生は終わってしまったのに等しい時点まで進んでしまったわけだが。□
(イラストは素材ダス、写真はネットから借用)