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日記171001・書評・銀の匙・中勘助著

tokyokid2017-10-01

日記171001・書評・銀の匙中勘助

【あらすじ】
 この「銀の匙」という美しい題の小説は、もともと詩人である中勘助が生れ落ちて間もなく、物心ついたときから十六、七歳の青春期までの美しくて清らかな思い出の記である。それが単に子供の目からみた子供の日常の世界を描いているだけでなく、詩人としての目でも物事を見ているので、内容・文章ともに類型のない読み物に仕上がっている。

【読みどころ】
 中勘助(1885(明治18)年生れ、1965(昭和40)年没。東京・神田の生れで、本来は詩人であり、散文を書いたのは後のことであった。従って当時の東京の下町から山の手(といっても当時はいまの文京区小石川が山の手の空気がいいところとして出てくるから、朱引外といっても、いまでは都心の一等地であるところが苦笑させられる)や、そのほか訪問先の地方都市(当時は村でなく町であった程度だったろうが)それらの描写や、食べ物、子供のおもちゃなど、当時の風俗がでてくるのが面白い。言葉遣いにしても、空地などで遊んでいた子供たちが夕方家に帰る場面で「アバヨ、チバヨ」というところが出てくる。戦後すぐ、私どもも「アバヨ、チバヨ、マタアシタ」と言った。米語なら「See you later, alligator.」といったところであろうか。その頃は江戸時代が終って、ご一新後でも世の中がやや落ち着いてきたころのことだろうから、当時の風俗習慣という意味でも、とても興味ある読物ということができる。それにいまではまったく見られなく、聞かれなくなった美しい日本語の会話は、当時は日本人がなによりも相手の立場を重んじて生活をしていたことが、心底伺われるのである。

【ひとこと】
 著者の中勘助は、よほど謙遜な人柄であったらしい。夏目漱石の門下の人であったらしいが、そのことはあまり知られていない。ただ中勘助がこの小説を書き上げると漱石が激賞して東京朝日新聞に連載させたことがあったらしい。これだけの他から隔絶された世界を作り上げた中勘助もさることながら、その独創性を見抜いた漱石の眼力はさすがといわざるを得ない。

【それはさておき】
 私はこの本を高校生の頃から読みたい、読みたいと思っていたがその機会が無かった。老境に達して時間ができた今、初めて読む機会を得たわけだが、それは読むのではなく、聞くのであった。どういうことかというと、目がもはや文字を読めなくなった私のような者に、全国で点字図書館というものがある。そこで「デイジーCD」という、既に朗読を吹き込んだ CD を借りると、朗読された音声で本を読むことができる。ただしこの CD は特赦なもので、一般の音楽用 CD 再生機にはかからない。専用の(盲人用)再生機を必要とする。いまのところ、私はこの「デイジー図書」を展示図書館から借りて読むのが最大の楽しみとなっている。なお本書は、岩波書店新潮文庫角川書店などから出版されてロングセラーを続けているから、入手に困難はない筈である。読者諸賢のご一読をぜひお薦めする。□
(写真は中勘助銀の匙で、いずれもネットから借用)