tokyokidの書評・論評・日記

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日記170611・桑の実

tokyokid2017-06-11

日記170611・桑の実
 初夏のいまごろになると、小学生の頃疎開していた田舎の風景を思い出す。その地方では蚕の飼育が盛んで、当時は蚕の食料である桑の木が畑の大きな面積を占めていた。いまその地方に行っても、そのおもかげはない。日本の絹産業が絶滅に瀕し、当時日本の輸出の主力を占めていた絹織物の生産が激減し、したがって絹糸の需要が減り、当然絹糸をつくる蚕を飼う人もいなくなり、蚕の食料である桑の木も畑から姿を消した、というのがその図式であろう。
 私は敗戦の年は小学校4年生、当時は国民学校の4年生であったが、疎開していた祖父の家から小学校までは、当時の4年生の足でも30分ほどかかった。その通学路の両脇にいくらも桑畑があった。ちょうどいまごろ、当時の6月は梅雨時でまだ夏の日のカンカン照りという時期ではなかったが、この時期になると桑の実がよくみのった。桑の木は背の低い木で、子供でも容易に摘むことができる。
 私の家が深刻な食糧難に見舞われたのはむしろ戦後であったが、戦中のこの時期でも田舎では砂糖は貴重品であったと思う。こどもは甘味に飢えているから、桑の実は恰好の、しかもほとんど唯一の畑でとれる甘味おやつだった。熟れた桑の実はとても甘く、蟻もよくたかっていたから、間違って蟻のついた桑の実を口中に放り込むと、桑の実の甘さに混じって蟻の苦い味がして不味かった。桑の実は濃い紫色をしていて、食うと口中が紫色というか、ほとんど黒に近い赤に染まった。だから桑の実を食べたことはすぐ他人にわかってしまう。往きではなく学校帰りに食べたものである。道草を食って桑の実も食うわけだが、どうしたわけか当時祖父の書庫にあった夏目漱石の「道草」を読んだのを覚えている。もちろん意味はよくわからなかったが、書いてあることの裏側にも深い意味があったであろうことは、小学生の身にも感じられた。
 最近珍しく「桑の実」のジャムを見付けて、さっそく注文してみた。まだ届かないが、どんな味がするか楽しみだ。□
(写真はネットから借用)、