tokyokidの書評・論評・日記

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日記161121・酢こんぶ

tokyokid2016-11-22

日記161121・酢こんぶ
 先日さる川柳会の句報で「酢こんぶで見た紙芝居孫悟空(謝)」の句にお目にかかった。東京始め日本の各地といっても都会に限られたことだろうが、街頭で酢こんぶを買って「孫悟空」や「黄金バット」などの紙芝居を見たことのある老人連の記憶に支えられて、さいわいこの句は好評だったようである。「酢こんぶ」は「酢昆布」とも書く。
 64年もあって長かった昭和の前半、そう、昭和39(1964)年の第一回東京オリンピックの頃までは、細々ながら街に紙芝居屋が回ってきていて、酢こんぶなどなにがしかの菓子を買った子供たちだけが前述の紙芝居屋の紙芝居を見ていたものであった。この頃までは、紙芝居屋はごく普通の街の風物詩だったのである。余談ながら、筆者は東京の戦前は、この第一回のオリンピックの時に消滅したと思っている。オリンピック用のスタジアムや首都高や新幹線の開通などの大規模開発の波によって、新しい時代が幕を明けたのであった。さらにいえば、260年ほど続いた江戸時代の文化の跡が、東京と改名された江戸の町から一掃されたのは、大正12(1923)年の関東大震災以後のことであった。このあたりの機微は永井荷風が流麗な筆で彼の「日和下駄」のなかに書き残している。
 話がそれた。酢こんぶは、昆布を酢で味付けしたもので、砂糖系の多かった当時の子供のおやつとしては、珍しく砂糖の味が薄かったので、それなりに好まれたものであった。当時は紙芝居屋だけではなく、町の至るところにあった子供相手の駄菓子屋でも必ず売っていたものであった。ネットで検索すると、写真の包装箱の酢こんぶが出てくるが、当時の紙芝居屋はこれを一枚売りしていたものだった。めっきり少なくなってしまった当今の駄菓子屋でも多分売っているだろうが、駅のキヨスクで売っていないか試みに訊いてみた。軒並み昆布製品は売っていたが「酢昆布」を置いている店はなかった。一軒だけ「都昆布」と書いた製品があり内容は「酢昆布」だった。現在の若者は酢の味に親しみがないので「酢昆布」と銘打っても売れないのだろう。突然おもいだしたが、最近の鮨屋の酢飯は酢が効いていないものが多くなった。したがってこういう店の酢飯は単なる米の飯のおにぎりに刺身を一切れ乗せたようなもの。更にいえば、黙っていると、全部サビ抜きの握りを出してくるようになったから、もはや寿司は大人の食べ物ではなく子供の食べ物になってしまった。戦後日本人の味覚の変遷を見る思いがする。□(写真はネットから借用)