日記 160625・曹洞宗高僧の教え
日記 160625・曹洞宗高僧の教え
先日都心にある曹洞宗のお寺にいってきた。ここの住職はわれわれの同級生であるがもう曹洞宗の重鎮になっていて、出るところへ出れば、たとえば福井の永平寺にいけば貫首(永平寺では管主といわずこう言うらしい)と肩を並べるほどの人なのである。
以前この寺では境内で鶏を飼っていたのを知っていたので、いまは飼っていないのか訊いてみた。飼っていない、というのでさらに理由を尋ねてみた。彼曰く「この齢になって生き物を飼うのはかわいそうだよ。なにしろこっちはいつ天に昇るかわからない身の上だから、そうなったら残った生き物が行き場を失ってしまう。だからもう鶏は飼うことができない」というものであった。
ははあ、と私は思った。これが曹洞宗というか、仏教の「生類憐みの教え」なんだと思いあたったからであった。これがあるから仏さまは私たち人間にも憐みを掛けてくださる。たかが鶏でも、鶏の人生?を粗末に考えてはいけないのだと、遅まきながら気が付いたのであった。
人間全部がこういう考えを持てば、日本で外来種として駆除される運命の動物や植物がなくなるであろう。住宅の屋根裏に住みつくアライグマも、琵琶湖などの湖沼で繁殖して日本古来の魚を駆逐しているブルーギルやピラニアなどの魚も本来の地で生を全うできることだろう。飼えなくなったペットをそこいら辺に捨てるということは、仏の御心にも背くことになるのだ。こう考えてみると、説教らしい説教をしないで私どもに仏の心を教えてくれた元同級生が急に偉い人に見えてきた。□(写真はネットから借用)