tokyokidの書評・論評・日記

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日記160102・杉原千畝

tokyokid2016-01-02

日記160102・映画・杉原千畝
映画「海難・1890」に続いて「杉原千畝」も見た。興行成績もこのほうがいいようで、同じ美談でもいまどきの日本人に「受ける」温度差があると見える。
「海難・1890」と同じく、この映画でも「日本政府の情なさ」ばかりが目立った。大方ご存じのとおり、この映画は第二次世界大戦初期の在欧州・リトアニアの日本外交官(領事?)であった杉原千畝のドキュメンタリーである。あの中央集権の激しかった戦時中に、なんと本省・外務省の命令に背いて(実際には本省の追及をかわしつつ)6000人ものユダヤ人に日本の通過ビザを発行し、ヒトラー政権の「ユダヤ人抹殺政策」から事実上当時唯一の逃亡ルートであった「日本を通過してアメリカ大陸に向かおうとした」多数のユダヤ人を救った気骨のある日本人外交官の話である。
 パンフレットには「ひとりの日本人が世界を変えた」とあり、「激動の第二次世界大戦下、日本政府に背き、命のビィザを発行し続け、6000人にのぼるユダヤ難民を救った男の真実の物語」とある。これでこの「真実の物語」の説明には必要にして充分なコピーだろう。問題は生命の保証が得られなくなった人々に対していかに人道的見地から援助をしたとしても、それが本省の一片の命令通りの処置ではなかったというだけで、一顧だにされない、まったく評価されない日本人のメンタリティにある。いえば政府の命令には絶対的評価を与えても、個人の主張や立場に対しては一顧だにしない、という評価基準が日本人のなかに確固として確立されていることだ。要するに「泣く子と地頭には勝てない」のであり、「出る杭は打たれる」のである。この場合はさらに、外国が表彰すると、てのひらを返して「日本政府という公的な組織が」本人の名誉回復というドンデン返しをやって、恬として恥ずるところがない。みっともないことこの上ない。
 「日本政府の情なさ」は、戦後復員した杉原千畝を、外務省はクビにして放っておいたのにも拘わらず、後になってこれら生き延びてアメリカ合衆国に落ち着いたユダヤ難民が「命のビザ」を発給した「杉原千畝」を称賛・感謝するに及んで、おそまきながら日本の外務省も西暦2000年になってようやく初めて「名誉回復」をしたことだ。もちろん杉原千畝の死後のことである。「外圧」に弱い日本政府の面目躍如ではある。余談だが、第二次世界大戦中日本の捕虜を取り調べたアメリカの諜報機関の結論は「日本兵は、兵は優秀だが将校は優柔不断で結論が出せず、指揮者に適しているとはいえない」というものであったと聞く。いまでも政治家や官僚など、本来人の上に立つべき人たちの評価軸として、同じことが言えるのではないか。写真は映画のパンフレット表面。