tokyokidの書評・論評・日記

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日記150414・阪神タイガース

tokyokid2015-04-14

 今年は4月7日の甲子園での開幕戦に、往年の強打者後藤次男が始球式をするというので、神輿を上げることにした。たまたま阪神タイガース球団は、ことしが球団創設80周年の記念の年であるそうで、これなら私と誕生年が同じではないか。めでたい、めでたい。
 私が江戸っ子なのになぜタイガース・ファンかというと、話は疎開時代にさかのぼる。敗戦の年、小学校4年生だった私は、その後5年生の2月まで疎開先の埼玉の奥に留まっていた。その間にプロ野球六大学野球が復活したわけだが、周りが(東京の隣りの埼玉だからということもあっただろうが)皆巨人ファンだったので、本来ヘソ曲りの私はただちに対抗馬のタイガース・ファンになった。ただそれだけの理由なのだ。
 多少の思い違いはあるかも知れないが、一番センター・呉、二番レフト金田、三番ライト別当、四番サード藤村、五番キャッチャー土井垣、六番セカンド本堂、七番ファースト玉置、八番ショート長谷川、そして九番は若林や御園生や梶岡などの投手と、当時のタイガースのラインアップは今でもソラで言える。このあとすぐ2リーグ時代が到来して、別当、本堂、大館などタイガースの主力は当時新設のパ・リーグ毎日に引き抜かれてしまうわけだが、別当加入前の3番を打っていたのが後藤だったと思う。後藤は器用な選手で、ポジションは投手を除いて内外野のあちこちを守っていたから、その後藤が91歳だかで始球式をすると聞いてわざわざ出掛ける気になったわけだ。
 ご高齢の後藤が投げた始球は、写真ではよくわからないかも知れないが、プレートの少し前から投げて、途中で3バウンドくらいしてから本塁に到達した。いま私が投球しても同じようなものだろうから、一回り上の後藤の始球はさすがというほかはない。
 球場にはもう後藤次男なんて遠い昔のタイガースのスターを知る人は居ないのだろうと独り決めして行ったのだが、球場内のコーヒースタンドで珈琲を飲んでいたときに相席になった(私から見れば)若い大阪人は、「クマさん」と呼ばれた往年の後藤次男のことは言うに及ばず、上記の2リーグ分裂前のタイガースのスター選手も、そして昭和21年だったか、打率ベストテンのうち投手を除く8人をタイガース勢で占めたことも知っていた。私の友人の元関西球団代表が「甲子園の阪神ファンはほかとまったく違う」と言っていたことを思い出した。彼に言わせると、阪神ファンは関西ファンで、首都東京の読売巨人ジャイアンツに対する敵愾心がそのままタイガースに対する思い入れにつながっているという。さもありなん。そして甲子園にいけば、いまでも往年の名選手の藤村、村山、江夏、田淵、それに巨人・槇原からバース・掛布・岡田が放ったバックスクリーン3連発などが健在なのだ。うれしいねえ。なつかしいねえ。くたばれ、ジャイアンツ。