tokyokidの書評・論評・日記

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くるま141210・夢も希望もあったくるま

tokyokid2014-12-10

 知人が昔のくるまのイラストを送ってきてくれた。上からフィアット・1901年型、ダイムラー・1907年型、キャデラック・1908年型、アウバーン・1913年型、シトロエン1924年型である。前世紀初めの、くるまに夢も希望もあった時代の、実際に市版されたくるまの数々である。
 そのころは第一時世界大戦前後の時代で、時代自体が急速に機械化に向けて動いたときだった。だからこのときは従来の馬車に自動車がとって代った時代でもあった。当然この頃は自動車の数そのものの数が少ないから、交通事故も公害もまだ社会の問題にはなっておらず、ごく限られた経済的に恵まれた人たちだけが当時社会にさっそと現れた自動車を駆って、ピクニックに行ったりレースを始めてみたりしていた、いわばくるまの将来に夢も希望もあった時代だった。
 そのころの自動車は、所有者にとってひと財産であっただろう。自動車一台は家一軒よりはるかに高い買物だったのだから。いま自動車は冷蔵庫や洗濯機と同様、大量生産・大量消費の耐久消費財となってしまった。そして公害を最小にしなければならないという重いカセは、当然技術的に難しい命題を突きつけるだけでなく、機能や性能を犠牲にしなければ実現できない大問題だ。つまり「走る、曲る、止る」を最短の時間と最小の経費で実現しなければならない自動車にとっては、致命的な意味を持つ。
 古き良き時代を思い出させてくれたきれいなイラストを見て、つくづく地球上に人間が増え過ぎた現実に気が付かざるを得ない。いま地球上の総人口に対してアメリカ並みの高い生活水準を保証するとすれば、地球があと何個か必要だそうだ。自分も早くみまかる必要がありそうだ。