tokyokidの書評・論評・日記

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日記141029・日本の資源ゴミ分別

tokyokid2014-10-29

 日本の資源ゴミ分別とはざっとこんなもんだ、というサンプルに出合った。関西のさるスーパーマーケットでの見聞であるが、世界に誇ることのできるゴミ捨てだと思える。写真をみてほしい。売場の一角に待ち合わせのためのベンチが置いてあり、その前に分別したリサイクル資源ゴミのゴミ箱が並べてあった。待ち時間を利用して、どんな人がどんなゴミを、どんな形で捨てていくのか、観察してみた。
 さすが潔癖症の日本人だねえ。捨てるのは主婦ばかりだったが、捨てるゴミは「えッ?これがゴミ?」というくらいきれいにしてある。もう自分でふたたび使うことはないのに、いま手に取って使えるくらいきれいにしてある。たとえば1リットルの紙パックの牛乳の場合だ。捨てる人皆が皆、例外なく、きれいに箱を開いて洗って乾燥させて一枚のボール紙状にしたものを、所定のゴミ箱に捨てていく。私が見ている間にも、数人以上が使用済みの牛乳パックを捨てていったが、みな例外なくこのように捨てるのに手間をかけていた。これは自分のためでなく、リサイクルという全体の目的のために、いわば他人のためにパック箱を自宅で処理してからスーパーにわざわざ持参して、所定のゴミ箱に捨てているわけだ。
 こんなこと、世界のどこの国で、これほどのレベルで実行できるだろうか。それはどこの国でも環境保全に関心のある人はやるかも知れない。でも捨てる人、ということは一般人のすべて(あるいはほとんど全部)が、決められた処理を完全に行った上で捨てる、なんてことが、どこの外国で起るだろうか。こう思って私はその風景をじっと見ていて、先日ブラジルだかのサッカー場で日本人観客がゴミを拾って帰る姿が、各国メディアのニュースとして報道された事実に思い当った。世界レベルで見れば、これはニュースなのだ。
 更に芸が細かいのは、スーパー側のゴミ箱の数の決め方だ。写真を良く見ると、かさばるもの、多く捨てられるもの用のゴミ箱は、複数設置してある。ゴミがゴミ箱から溢れ出る前に処理するためだろう。日本人の潔癖症はなんともはや、恐れ入りました。