tokyokidの書評・論評・日記

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日記131015・公僕はどこ?

tokyokid2013-10-15

 日本の公僕精神はどこへ行ったんだろう?
 最初の写真はごく当たり前のアメリカの自宅の玄関風景である。
 次の写真は、よく見ると右側の壁に郵便受けが取り付けられている。上の箱は配達された郵便類を入れるところで、ここは何の変哲もない。その下に鉤のようなものが二本突き出ている。これがアメリカの公僕精神の表れなのだ。こちらから出す郵便物がある場合、たとえば封筒に切手を貼ってその鉤のところに置いておけば、郵便配達夫は配達に来たとき持って行ってくれる。つまりいちいち郵便局や街角のポストにまで行かなくても、市民は自宅に居ながらにして郵便物を投函することができるのだ。
 日本の場合は、三番目の写真のように、かなりの規模の集合住宅であったとしても、屋内に郵便を出すポストは設置されておらず、敷地を出た公道との境にわざわざ(たいへんな経費をかけて)郵便ポストがしつらえてある。集合住宅の住人は、必然的に雨の日でも傘をさして外に出て、敷地内を横切って歩いてポストにたどりつき、投函せねばならない。こういう集合住宅でも、ふつうは一階に郵便受けが並んだ部屋があって(四番目の写真)、日本の郵便配達夫は毎日そこまで来て各戸のポストに配達はしていくのだから、同時にその部屋に出簡用のポストをしつらえておけば一石二鳥、配達と同時に集荷もできると思うのだが、なぜか日本の郵便局はそうした「キメの細かい」住民サービスを絶対にやらない。
 安全か安全でないかでいえば、一般的に言ってまだ日本のほうがアメリカより安全だろう。もっとも最近はそうとばかりも言っていられなくなったようだが。それにしても日本の郵便局はなぜ屋内の決まった場所で郵便物を集荷してくれないのだろうか。要するに公僕精神の欠如なんだと思う。役所はエライんだから、いちいち住民の言っていることなんか聞いていられない、という態度がアリアリとしている。私はまだ確認していないが、たとえば都心の丸ビルなどの大規模事務所ビルでは、どこの階でも出せる集荷用のポストが作ってあって、一定の郵便物はそこで出簡できたように思う。なぜ都心の事務所ビルでできることが、ほかの集合ビルではできないのか。これも大きな疑問である。それに日本の郵便局は、土曜日に開局しないのは困るねえ。あの公共サービスが不足しているといわれるアメリカでさえ、土曜日は朝から午後2時くらいまでは開局しているよ。