tokyokidの書評・論評・日記

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日記130815・敗戦記念日に病院食の話

tokyokid2013-08-15

 きょうは敗戦記念日
 「敗戦」という事実を表す単語ではなく、「終戦」といかにも先の太平洋戦争(第二次世界大戦)を引き起こしたのは当時の日本政府ではない、という意図が隠された単語を、私は使いたくない。ウソはドロボウの始まり、言い換えは事実の糊塗、なのである。いまどきの流行語でいえば、「しっかりと」事実を見詰め、その認識に基づいて将来の展望を確立し、その展望に沿った計画を立案・実施していくことこそが重要事項であると思うのだ。ちなみに言えば、雨後の筍の如く乱立しているいまの我が国の政党のなかで、その「展望」を示し得ている政党はないし、示し得ていない理由のひとつが、敗戦を終戦としてしか総括できない「国民の理解」なのである。その状態に媚びる政党活動がそのような情ない状態を半世紀以上にわたって保っている理由だろう。その第68回目の敗戦記念日にふさわしい、飽食の現代ではめずらしい経験に属する病院食の話がこれだ。
 去る5月に、消化器系の病気になって2週間ほど入院した。高齢になって入院しなければならないということは、一種の人生の敗戦経験である。おおいにめげたが、それはそれとして話を続ける。最初は絶食させられていたが、後半になって供されたのが写真の病院食である。写真ではよくわからないかも知れないが、三分粥から始まって、徐々に固い粥に代えられていった。
 たった2週間の入院生活であったが、その間の「飽食」ではない「高齢者のあるべき食生活」を守った結果、体重は5キロほど減り、そのおかげで動作が軽くなった。つまり健康体を取り戻せたわけなのである。病院食は飽食の食欲は満足させなかったが、健康にはよかったのである。その意味で、私に「健康食」の概念を植え付けてくれた病院には、おおいに感謝している。
 問題はこのいい食習慣を、退院後いつまで自宅で守れるか、ということなのだ。しっかりしなくちゃ。