tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

コラム・わたしのアメリカ観察 11

tokyokid2012-01-01

ムーン・グロウ

 アメリカにきた最初のころ、取引先のアメリカ人に連れられて中西部のアイオワ州にあるお得意さん回りをした。私は助手席に座って渡された地図を眺めているわけだが、よく見てみると、これから行く会社への道は高速道路ではなく地方道なのに、まっすぐ直線で描いてある。私はてっきりこれは少しぐらい曲がっている道でも、州単位の地図ではこのように直線に見えてしまうのだろう、と合点した。この推測が間違っていたことは、一日中この中西部のとうもろこし畑だらけの州を走ってみてわかった。そうではなくて、どこまで行っても道は真直ぐなのである。いくらアイオワの平原でも、多少の起伏はあって、くるまはまっすぐの道を先に見えている峠に向かって走っていく。峠の頂上についてみると、そのまた次の峠の頂上まで、道はまた真直ぐに走っているのであった。両側は見渡す限りのとうもろこし畑で、日本の水田のように畦というものがない。畑は文字通り見渡す限り一枚、これには息を呑んだ。
 それに訪問先の会社というのが、世界的に有名な建機や農機具をつくる会社だったが、その本社が全面ピカピカのガラス張りの社屋で、それがまた広い敷地で広い芝生に囲まれて、一面緑の中に突然躍り出てくる感じであった。日本で得意先回りをしても、ごみごみした街中にある町工場か、敷地は広くてもすすで薄汚れた建物しか知らなかった自分にとっては、まさしく日本の風景から隔絶した別世界の話であった。広い駐車場にくるまを停めて、正面玄関のドアを押すと、カウンターがあって受付嬢が一人で座っていて、当方とアポイントをとってある面会先の人の名前を聞いて、その場で連絡を取って、当人がくるまで玄関脇の会議室で待つようにと案内してくれ、すぐにコーヒーを淹れてくれた。
 聞けばアメリカの会社の受付嬢は、来客だけでなく、電話の交換と郵便の処理、それにタイピストとしての仕事も「一人で」抱えているのが普通だとのこと。それにしてはわれわれ来客を笑顔で迎えて会議室に案内しコーヒーを淹れてまた自分の席に戻ってタイプを打ち出すまで、能率のいいことであった。日本では受付に二、三人の受付嬢を置いて、彼女らは別の仕事をするでもなく、なんとはなく来客を待っていて、来客があれば丁寧というか慇懃というか、深くお辞儀をして案内してお茶を入れる。普段は下を向いていて来客と目を合わせず、接客の態度はともかく、仕事の能率がいいとは言い兼ねるが、そのいつも見慣れた風景からかけ離れたとても軽快な景色に見えた。
 日本で見た往年の名画「ピクニック」はアイオワ州の近くのカンサス州を舞台にして、一九五七年につくられたウィリアム・ホールデン、キム・ノバック主演の映画だが、ここに住む同級生を頼ってきた風来坊のホールデンは、ある家の庭の手入れの仕事をさせてもらうが、ピクニックがあって彼も行くことになる。圧巻はそのピクニックの場で気を惹かれ合うホールデンとノバックが踊るダンス・パーティのシーンであった。私は訪問した先の、アイオワの会社の受付嬢の軽い動作ステップを見ていて、この映画のテーマ曲、ムーン・グロウがどこからか聞こえてくるような気がした。□
*画像は映画「ピクニック」のコロンビア社VHSの表紙