tokyokidの書評・論評・日記

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コラム・わたしのアメリカ観察 10

tokyokid2011-12-25

★仕事の進め方

 日本とアメリカでは、仕事の進め方がだいぶ違う。
 最大の違いは、論理的であるか慣行的であるかの違いであろう。つまりアメリカは、その仕事を仕遂げるにはどれがいちばん理にかなってくるかで、やり方が決まる。決まるまでにはかんかんがくがくの議論が関係者のなかでなされることになる。このとき黙っていては、周囲からあいつは建設的な意見のひとつも言えないバカだ、と判断されかねない。一方日本では、年功序列によって物事が決まっていくから、自分がいい意見を持っているからと言って、やたらにこのような議論の場で発言すると、足をすくわれかねない。つまり黙っていたほうが自分にとってトクな場合が多いのである。
 もうひとつは、相手を信用して仕事にかかるか否かということだろう。極端に言ってしまえば、アメリカ社会は性悪説であり、日本では性善説に立ってものごとが進む、ということであろう。なによりの証拠は、アメリカの契約書といえば、微に入り細を穿って自分が不利にならぬよう、法律で保護される方向に進むように詳細な事項まで細大洩らさず事前に決めておく。それが日本では、たとえば先日の東電福島原発放射線事故でやたら「想定外」の事象が頻出したことで明らかなように、人は善意で動くという前提で社会が動いていることである。これでは、グローバル・エコノミーに基づく国際化社会のこんにち、裁判沙汰などの法律による解決をめざさなければならない場合、日本側が圧倒的に不利になることは、戦後の日本と外国企業の技術紛争史をひもとけば、自明のことであろう。もはや戦前の「沈黙は金」や「善隣主義」でことは解決しないのである。
 第三にこれは決定的な差であると思うが、物事や人物の評価基準を決めるのが欧米人は得手、日本人は不得手であるという、動かし難い事実であろう。たとえば「ギネスブック」や「ミシュランのレストラン星取表」や「専門評価機関による国や企業の格付け」を見ても、欧米作の基準はそこここに見ることができるが、日本の評価基準が国際的に採用されているケースは極めてまれなのである。
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もっと下世話な差を挙げれば、欧米の企業の管理責任者はよく働く。朝一番に出社して夜遅くまで仕事をするのは欧米人である。一般社員はよほどのことがない限り、残業などしない。一方日本では、経営者といわれる人たちは判断業務だけをしていればいいのであって、下手に業務に手を出すと、彼は経営者としては適当ではないと周囲に見られてしまうのである。つまり祭の神輿であることが日本の経営者には要求される。欧米でこのやり方は機能しない。その代りよく働く欧米の経営者の給与は、日本の経営者にくらべてケタ違いに高いのは大方ご承知のとおりである。だが最近では、とくに日本の創業経営者の所得は従来に比べて格段に上がってきたから、いちばん楽なのは、日本の(やとわれ経営者ではなく)創業経営者になることであろう。仕事は一般社員が夜を徹しても会社に有利なように進めてくれる。一方経営者は、神輿を担ぐのではなくて、神輿に乗って、扇であおいでいれば業務は進んでいくのであるから、このほうが楽に決まっているのである。□