tokyokidの書評・論評・日記

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論評・EWJ{四字熟語」コラム・天網恢恢

tokyokid2011-08-22

(十八)「天網恢恢」(てんもうかいかい)
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 「天網恢恢」とくれば「疎にして漏らさず」も一緒に覚えておられる方が多かろう。もともと出典は老子で、原文は「天網恢恢、疏而不失」である。「天網」は天が張る網のこと、そして「恢恢」は大きくて広いこと。つまり天の張る網は広くて目も粗いようだが、それでも悪は逃さずかならず捕える、という意味である。老子の生没年は不明だが、中国・春秋時代末の人といわれているから、西暦でいえば紀元前(BC)四百年ごろの、孔子とあまり変らない頃の人であった。この頃はまだ人を指導する立場の「天」が人の世界を治めるために「天子」を地上に遣わし、天子が天に代って政治を司るということが一般的に信じられていた時代であった。ひとつの解釈では「天網」を「法網」の意味に捉えていて、人を捕えるには法をもってするしかないから、この解釈は当然といえる。
 そうすると、天は人を律するに(法網に当たる)天網を以ってするが、その天網は基本的なこと、本質的なことしか定めないので「恢恢」なのであろう。目が粗いとされる恢恢ではあるが、人が犯す罪が仮に小さな罪であっても、その天の法網に触れざるを得ない、したがって「天罰覿面」を免れることはできない、ということだろう。いまから二千四百年くらい前は、文明もそれほど開化しておらず、文化もまだ黎明時代を迎えたばかりの頃であったはずだ。この頃はまだ「神」や「仏」という概念は確立されておらず、その代わり中国では「天」が一般に認識されていたのであろう。なにしろ「キリスト」が世に現れる四百年ほども前の話であるし、「釈迦」は西暦紀元前(BC)四六三〜三八三年の人といわれているから、いずれにしても老子が「神」や「仏」を認識していたかは疑問である。だから老子は「天網」が「恢恢」であっても「疏にして漏らさず」と自信を持って言い切ったのであろう。
 老子から二千四百年を経たいまでは、天網・法網の「法」の解釈が当時と一八〇度変ってしまった。いまは「法に触れなければ何をしてもかまわない」し、「疑わしきは罰せず」の時代でもある。現在は人の行動基準の最低線として「法」が存在しているのであり、老子のときは「恢恢」つまり目が粗くても「基本線」なのが「法」であったから、「法」は行動基準の最高線であったといえる。だから当時の人は天を恐れ、他人の目がなくても罪を犯せば天が見逃すはずはない、と信じていたのだ。
 こうして文化・文明の進展にともなって「法」の解釈も上述のような変遷を重ね、いまでは「法に触れなければ潔白」という解釈が確立されるに至った。現在の法体系はおおまかに考え方が二つあり、ひとつは日本やドイツ、フランスなどの法律の基本である「大陸法」である。大陸法は明文法で、法律に書いていないことは法律ではないとの立場で、だからアタマのいい人はいかに法の網を潜り抜けるかということに全力を傾ける。そして立法、司法、行政を三本柱とする民主主義にあっては「天網」ならぬ「人網」を張り巡らせ、罪を犯した人をして法律に抵触せしめるか、はたまた立法当事者が政治家や官僚の場合は自己保身に都合よく法律を設定するかに汲々とするのである。もうひとつ、主として英国・米国の法律の基本である「英米法」は判例法で、過去の判例の蓄積が法律の基本となる。裁判は法律の素人が参加する陪審制で行われるから、王様やカネモチが力づくで自己保身に都合のいい方向へと陪審員の選択や陪審員に有言・無言の圧力をかけることによって、裁判を特定の方向に引っ張ることも可能なのである。もはや「天網恢恢」は死語となった。□