tokyokidの書評・論評・日記

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論評・EWJ「四字熟語」コラム・漱石枕流

tokyokid2011-08-02

(十五)「漱石枕流」(そうせきちんりゅう)
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 こじつけや負け惜しみを言うこと。またはへそ曲がり。もともと正しくは「枕石漱流」で「石を枕にして流れに口をすすぐ」ということで「俗世間を離れて自然で質素な生活を送る」の意味であった。晋(四〜五世紀)のとき秀才の名が高かった孫楚がこれを「漱石枕流」と言い間違えた。孫楚は友人の王済に誤りを指摘されると「石で口をすすぐのは歯を磨くためであり、流れに枕するのは聞きたくないことを聞かなければならなかった時に耳を洗うためである」と強弁して誤りを認めなかった。この故事から「漱石枕流」はこじつけのうまいこと、または負け惜しみの強いことを指す。文豪の夏目漱石(本名・金之助)の号もここから「自分の考えにはこじつけや負け惜しみも含まれる」ことを表した。
 おなじ伝で「さすがに・・・」というときに「流石」の漢字を当てるが、これも同じ理由による。「xx選手は強打者であるから、さすがにあの難球をホームランにしてしまった」というときは素直な感嘆文だが、「さすがにxxさんは政治家だけあって、サギをカラスと言いくるめるのはじつにうまい」というのは、明らかに皮肉を利かせた言い方である。文章というものは、こうして皮肉を利かせるほうがはるかに意味合いが強くなるし、読み手の印象にも残りやすい。
 夏目漱石といえば江戸っ子を自称し、東大の英文学の先生であり、乃木希典と並んで中国人もびっくりの本格的な漢詩を吟じ、もちろん日本語では「坊っちゃん」「吾輩は猫である」「草枕」などの名文をものした作家であるが、「漱石」なる号はもともと仲のよかった(俳句の)正岡子規が使っていたものを譲り受けたという説もある。号(雅号ともいう)はもともと中国の宋ではやったもので、日本には江戸時代に入ってきたといわれる。だから明治期の大文豪はみな号を持っていた。夏目漱石坪内逍遥幸田露伴森鴎外島崎藤村尾崎紅葉永井荷風など、いずれも趣向を凝らし、洒落っ気を利かせた号を使った。「漱石」もさることながら、これらの文豪たちがどのように自分の号を作っていったか、ひとつだけ例を挙げる。幸田「露伴」は本名を「成行(しげゆき)」というが、電信修技学校を卒業して北海道余市に電信技手として赴任する。だが文学を志して「飲まず食わずの状態で」東京へ向かう。途中福島の二本松市まできたときに、一歩も前に進めなくなった。そのとき詠んだ句が「里遠しいざ露と寝ん草枕」。その後作家として発表する処女作に使ったのがこの「露と・・・」から「露伴」となった。別号を「蝸牛庵」という。西洋人が自分の実名を隠すために使うペンネームとは異なり、日本の雅号は洒落や遊び心の発露だったのである。いまはカナ表記や外来語をそのまま使った号が芸能人を中心に増えてきて、表意文字の漢字を使った(取り合わせの妙と表現の妙を両立させた)深味のある雅号が少なくなってしまった。これも世の習い、ということだろうか。それとも戦後の国語教育により、いまでは当用漢字や常用漢字のごく限られた字数の漢字しか認められなくなったから、そのことによる日本の漢字文化の衰退をまさに目の前に見ているのであろうか。
 とまれ、「漱石」を自分の号に採用した夏目金之助は、以前「平凸凹」「愚陀仏」などと名乗っていた時期があった。名は体を表す。漱石はつむじ曲りで負け惜しみの強かった己れをよく見極めて、自嘲・韜晦・恐縮の雅号をつけたのだろう、とは、半藤一利氏の「漱石先生ぞな、もし」(文春文庫)に書いてあることなのである。□