tokyokidの書評・論評・日記

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論評・EWJ「四字熟語」コラム・先憂後楽

tokyokid2011-07-24

(十四)「先憂後楽」(せんゆうこうらく)
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 苦しいことや困難なことは先に片付け、楽しむことは後でやろう、ということ。出典は「岳陽楼記」(苑仲淹)。中国最大の湖・洞庭湖のほとりに岳陽楼がある。十一世紀・宋の時代に名臣と謳われた苑仲淹が、岳陽楼の修理を仰せつかった友人に対して書を贈った。書は「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という言葉で締めくくられていた。以後この言葉は、為政者の心構えとして時代を超えて長く残ることになる。
 中国では、紀元前の孔子(前五五一〜四七九)に始まる儒教はつい最近の清の時代にまで及ぶが、孔子はいうまでもなく「家族道徳を基盤として、礼楽の治といわれる徳治主義」を説いた人であった。儒教の始祖ともいわれ、その言行は弟子が編纂した「論語」に詳しい。したがって十一世紀の苑仲淹が友人に先憂後楽を説いたのは不思議でも偶然でもない。当時の儒教思想に基づいた彼の説だったわけである。このころの「為政者」は儒教の教えからいえば「君子」であることが理想であり、またそのことが一般に要求された時代であった。それから長い時間が経って、自然科学のみならず社会科学も当時にくらべればずっと発達したはずのいまでは・・・・日本であれ中国であれ米国であれ、現在の為政者たる政治家の言動をみて、ただ絶句するのみである。民に先んじて困難に直面し、自らの快楽を後回しにするような為政者を見つけるのは、暁の星を見るごとく難しくなってしまった。きっと「家貧しくして孝子出ず」の格言通り、世の中が全体に貧乏で、乏しいなかから少しずつ分配しなければならなかった世の中では、徳といい仁といい、世の中で共有すべき美徳を実行する人が多い社会だったのだろう。だからこそ皆もまたよく「学而不思即罔」つまり「学んでも考えなければすなわち分かったことにはならない」(論語・学而篇)を字句どおりに解釈して、徳を積むことに熱心な人が多かったのであろう。他人からあるべき姿や間違った言動を注意されても「うるせえ、ほっといてくれ」という現代からは、夢の(道徳が生きていた時代の)世界の話なのである。
 いまではモノは豊かに出回り、経済的にもクレジット・カードやローンによる信用借りが手軽に、大手を振ってできるようになった。その結果人は直裁に目先の快楽だけを求めるのに急となった。先にも後にも「憂」すなわち困難に立ち向かうことはなるべく後回しにするのが当たりまえとなった。働くにしても「楽しく」なければ職場ではない、という雰囲気が生まれた。還暦をとっくに過ぎたジジイから見れば、職場は稼ぐところであり、利益を上げるところであるからして、そこで働いてカネを稼ぐためには辛抱第一、職場で楽しいことなどあるはずがない、一に我慢二に我慢、三四がなくて五が忍の一字のまたガマン、と思ってきた。「楽しい」仕事があるとすればそれはインチキな仕事であろうと想像するのだが、いまはそれでは通用しなくなった。掛け声だけでも「楽しい職場」を標榜しなければ人が集まらない時代になった。そして衣食住から趣味に至るまで、まず「楽」を求めて誰も怪しまない世の中になった。すなわち「先憂後楽」は吹っ飛んで「先楽後憂」になったのである。
 プロ野球の球場があるのでよく知られている、東京都文京区にある後楽園は、水戸徳川家上屋敷跡であり、その名はこの「先憂後楽」からとられた。岡山にある池田家の庭園・後楽園の名の由来も同じと伝えられる。□