tokyokidの書評・論評・日記

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随筆・駐在員今は昔(その十一)【EWJ080701掲載原稿】

tokyokid2009-04-16


駐在員今は昔(その十一)

 L氏は会社でアメリカ市場担当を仰せつかって、これからアメリカ人を相手に商売をしなくてはならないことになったとき、アメリカは個人主義の国だ、ということを肝に銘じておかなければならないと思った。日本は聖徳太子以来の「和の精神」の国であるから、事前に根回しをして、決めるときは全会一致が原則である。それに対してアメリカは、個人が責任を負って自分の判断で仕事を進めてゆく、だから必ずしも事前に上役や周囲に根回しをするわけではない、という知識があった。ところが一九六〇年代の半ばごろ、L氏が実際にアメリカに赴任してみると、どのようにアメリカの個人主義が運用されているかを、身をもって体験することになった。
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 L氏はアメリカの女性はいわゆる「お茶汲み」をしないと聞いていた。事実事務所にコーヒー沸し器があり、好きなときに好きなだけいつでも自分で紙コップに注いで自分の席に持ち帰るのが原則だった。ところがあるとき、日本人の来客があり、会議室で打ち合わせをしているときにコーヒーを出す必要にせまられた。L氏はやむを得ず、自分の仕事を手伝ってくれていたアメリカ人の女性スタッフに「日本では来客に茶を出さないのは失礼に当る。それも男子の自分がやると相手が気にするので、申し訳ないがあなたがコーヒーを淹れて会議室に持ってきてくれないか」と頼んでみた。驚いたことには、当の女性は喜んでしてくれただけではなく、その後も日本人の客があると、言われなくても自発的にコーヒーを淹れて来客に出してくれるようになった。そのようなときはL氏もすかさず立ち上がって、来客に自分の仕事を手伝ってくれているX嬢だと来客に紹介することにした。すると以後電話の取次ぎがスムースにいくなど、思わぬ効果も表れて、L氏のアメリカ女性に関する認識は一新されたのであった。
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 その頃L氏は、提携先の会社のアメリカ人社員と一緒に出張することがあった。テキサスの空港で、チェックインの列が長くて最後尾が分らずまごまごしていると、一緒に旅行していたアメリカ人が「そこのテンガロンハットをかぶった紳士の後ろだよ」と教えてくれた。見るからにカウボーイの服装の人を「紳士」と呼ぶということは、この国では誰でも「紳士」と呼ばれなければ商談でも交際でも相手にされないのだなと、そのときL氏は理解したことであった。
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 ずっと後になって、L氏の勤務しているアメリ現地法人では、社内報を発行することになった。そこで建物の入口で歓談している社員ふたりの写真をあしらったが、説明文も入れず従ってふたりの名前も省いたところ、あとでそのふたりから猛然と抗議があった。記名しなかったのは、会社は自分たちを評価していないのか、というわけであった。L氏は「個」を大切にするアメリカの風土を、日本を発つ前から理解していながら、このような失態をしでかしたことを後悔したが、後の祭であった。
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 日本では複数の人間を十把ひとからげに扱うことが多いが、アメリカでそれは許されない。これらの事例から個人を尊重することが徹底されている社会であると、L氏は再認識したことであった。□
【EWJはハワイ州で発行の情報誌 East West Jounal のこと】