tokyokidの書評・論評・日記

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随筆・駐在員今は昔(その一)【EWJ070701掲載原稿】

tokyokid2009-02-02

駐在員今は昔(その一)

 戦後の混乱期から経済成長期に入って、日本企業はアメリカにも駐在員として人を送り込むようになった。アメリカではまだまだ日本人が珍しがられたころの話で、筆者自身も一九六〇年代の終りごろだったか、アメリカの深南部をドライブして、高速道路を降りて昼食のためにそのあたりのレストランに入ったところ、食事中ずっとウエイトレスがカウンターのところに立って、私と同僚(日本人)の食べぶりを珍しげにしげしげと観察されて、閉口した覚えがある。アメリカでは、ハワイと西海岸には戦前からの日本人が数多く住み付いていたので、これらの日本人街にいけば、タテメシにありつけたものだったが、そこを離れればもうヨコメシしか食べることのできなかった時代の話をいくつか残しておこうと思う。21世紀のいまから40年も前のことである。
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 アメリカでは金持ちの子供でもアルバイトをする。だから気をつけないと、とんでもない顔合わせが起こる。NYの日本人駐在員の役得として、日本からの客を日本式クラブで接待することがある。駐在員のA氏はあるクラブのホステスと仲良くなった。彼女はミュージカルスターを目指してテキサスからNYに出てきており、昼間は銀行でキャッシャー、夜はクラブのホステスをして生活費を稼いでいるとのこと。A氏はいつものスタイルで彼女をくどき良い仲となった。ある日彼女に「少しぐらいなら自分が面倒見るからホステスのバイトを辞めるように」と言うと彼女は喜んで「貴方は本当に良い人」と感謝され二人はお決まりのコースへと発展した。夏がくると彼女が夏休みにテキサスの田舎へ帰るので一緒に行かないかと誘われた。A氏はテキサスの牧場でも見物するかと軽い気持ちで出かけた。飛行場ではテンガロンハットを被った彼女のお父さんが出迎えてくれた。家に着くと入口にメルセデス・ベンツが2台、良く見ると奥のほうにはロールス・ロイスがある、この辺からA氏は気持ちが落ち着かなくなった。夕食の後でお父さんがA氏に頼みがあるとのことで、話を聞くことになった。聞いてみると、友人が土地を売りたがっているので誰か金持ちの日本人の買手を紹介してほしいとのこと、これがその土地の図面だと持ち出されたものを見ると全体の面積が高知県より広い土地であった。お父さんの職業を聞くと銀行、油田のオーナーとのこと。帰りがけに彼女がお父さんに「パパ、私ミュージカルはあきらめて彼と結婚するからこのロールス・ロイスをちょうだい」とねだると、お父さんは「いいよ持っていきな、但し運び賃は自分で払えよ」となり、A氏はその日から彼女をロールス・ロイス付きでもらうことになった。A氏はもちろん妻帯者だったのでこの後は大変な騒動が待ち受けていたのは申すまでもない。
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 アメリカの金持ちは日本の金持ちとまったくスケールが違う。俗に「自分のカネがいくらあるか分っているうちは、まだ金持ちとは言えない」というアメリカ人もいるほどである。また金持ちの子といえども、学資は自分で稼ぐケースも珍しいこと
ではない。奨学金で足りなければアルバイトというのは常套手段だ。こういうアメリカ事情がまだ日本にはあまり知られていなかった時代の駐在員の噂話である。□
【EWJ はハワイの情報誌・East West Jounal のこと】