tokyokidの書評・論評・日記

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随筆・駐在員今は昔(その二)【EWJ070801掲載原稿】

tokyokid2009-02-09

駐在員今は昔(その二)

 昭和39年(一九六四)に東京オリンピック、昭和45年(一九七〇)に大阪万博が開催され、この頃になって日本もようやく敗戦国から世界の国々の仲間入りを果たしたという実感が、これらのイベントによって、全国津々浦々に行き渡ることになった。
 輸出産業として今をときめく自動車や家電製品の業界では、まだまだ日本の保有外貨が少なく、円はあってもドルに両替して国外に持ち出すことが厳しく制限されていた昭和20年代半ばから、社員をアメリカに派遣して、商談を進め始めていた。
 当時は企業の中で「駐在員」に選ばれて外国に赴任するということは「名誉」と思われていた時代であった。駐在員になるには、当然英語で会話ができなければならず、駐在したら相手のアメリカ人に礼を失することのないように、マナーも知らなければならない。一九六〇年代、七〇年代はまだまだ海外に進出を図る企業数も限られていたが、そろそろ日本企業が大量に対米進出を図る兆しがでてきた頃でもあった。
 当然「駐在員」の席を狙う社員は、語学やエチケットの習得に余念がなかったが、その頃は現在と違って情報は限られており、まず情報を仕入れるのに苦労しなくてはならなかった。たとえば「レディー・ファースト」ということがあった。ふだん自分の女房にもしたことのない、くるまに乗り込む際に、女性のためにドアを開ける、というたぐいの簡単なことでも、まずアメリカ映画のそのシーンでも見て、さらに自分でもやってみなくてはならなかった。それを日本の男達が真面目に習得していた時代の話である。
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 B氏は念願のNY駐在員となり、今日は初めて上司と得意先の食事に同席できることになった。赴任したてでまだ奥さんが合流していなかったB氏以外は、全員が奥さん同伴であった。食事のあとコーヒーを飲んでいたとき、お客の奥さんから「Bさんの奥さんは何時こちらに来られるのですか?お寂しいですね。早くこられると良いですね」と問われたB氏は「いや久しぶりにシングル生活を楽しんでいますよ。ワイフにはゆっくり来るように言ってあります。マンハッタンの夜は楽しいです」と答えた。翌日B氏は上司に呼びつけられて「君はえらいことを大事なお客さんの前で言ってくれた。ゆうべ相手の奥さんが“I hate you!!”と言っていたが、君は英語の“hate”の意味、アメリカ人が“hate”と言ったときの気持ちがわかっているのかね」と厳しくお叱りの言葉を浴びせられた。アメリカ人の奥さんにはくれぐれも注意を怠ってはならないと、B氏が悟った瞬間であった。
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 女性のためにくるまのドアを開けることは覚えていたとしても、アメリカ人の前では家族を大事にする姿勢を見せないと、社交界から抹殺されて身の破滅を意味するというところまでは、B氏の意識になかったのがこの失敗の原因であった。
 今は昔、21世紀のこんにちでは、アメリカ人でも奥さんのためにくるまのドアを開けない男性が目立つ。自分の子どもが悪いことをしたら「スパンク」(尻を平手で叩く)しても、近所の人に警察に通報されなくて済んだ頃の、古き良き時代の話である。□
【EWJ はハワイ州で発行の情報誌 East West Jounal のこと】