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論評・磁針コラム・新「大政翼賛」政治

tokyokid2009-01-12

論評・磁針コラム・新「大政翼賛」政治【羅府新報・181204付磁針コラム掲載原稿】
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 政治が人の頭の中に介入しはじめると、ロクなことがない。権力を握る者は猜疑心をどんどんふくらませて、細かなことをあげつらってくる(池波正太郎鬼平犯科帳の世界・文春文庫)。
 空自トップの航空幕僚長が書いた「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」という趣旨の懸賞論文が入選したことが問題になっている。その論文の主張の是非はここでは問わない。ある役人(自衛官も役人であろう)が役所の方針とは違った見解の論文を書いて民間の懸賞に応募して入選して、それで権力を握る防衛相が「好ましくない」という見解で、論文を書いた当の航空幕僚長を更迭するところまでは考え得る組織運営の一環なのであろう。だが防衛相が当人の「定年退職」と「退職金の自主的返納」までも口にするということは、人権の蹂躙であり、民主主義の否定であり、個人の言論の自由組織力で圧迫している。
 下世話な話で恐縮だが、冒頭の池波正太郎の文章に、寛政の改革で知られる松平定信が側近に「ちかごろ町人の間に茶臼なるものが流行っていると聞くが、怪しからぬから止めさせるように」と命じたという話が載っている。実際にこの禁止令は発令されなかったらしいが、この防衛相は松平定信と同じ発想の人であるようだ。権力側はなにごとも全国民一致で政治ができれば、これより楽なことはなかろう。民主主義では、国民各個人の考えを最大限に尊重しながら民意の最大公約数に収束していくのが本道で、各個人がそれぞれ異なる意見を持つこと自体を為政者が権力を振り回して取り締まるのが民主政治ではあるまいに。
 戦前の大政翼賛会昭和15年に近衛内閣が結成した国民統制組織だが、「進め一億火の玉だ」などの標語によって国民を統制した。この航空幕僚長の論文事件は、往時を知る者にとって「いつか来た道」の感慨ひとしおである。現実の政治は、江戸時代も現代も頭の固い人ないしはなにか特定の目的を持った者によって運営されるとこうなる。□
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