tokyokidの書評・論評・日記

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書評・電車案内

tokyokid2008-06-14

書評・電車案内(日本交通旅行案内社)

【あらすじ】
 この簡単極まりない週刊誌の見開き2頁分の東京の電車案内地図は、片面に「東京都電案内図」、裏面に「東京郊外電車全線案内図」とある。前者は「都電」だけの案内図であるが、後者は「国鉄・地下鉄・近郊交通全線案内図」とある。そのほかに、附録のような「新東京観光百選地案内」として、おすすめの観光スポット百点がリストになっている(後述)。面白いのは、この地図には発行年月日がどこにも書いてないことだ。でも定価が20円であり、昭和39年(一九六四)の東京オリンピックの前には、東京都内を走っていた都電はほとんど全部廃止になって撤去され、残ったのはいまでも走っている早稲田〜三ノ輪橋間の都電・荒川線だけになった。この地図は紙質も印刷も悪い。そういうことから考えると、どうもこれは昭和30年ごろに作られたものではないかと思わざるを得ない。
【読みどころ】
 この地図のハイライトは、間違いなく当時は東京中の盛り場を網羅していた「都電」の地図であろう。都電には「系統番号」というのが連続でつけられていて、たとえば品川駅から(神田)須田町を通って上野駅に行く都電は「1番」であった。ほかに下町を走る須田町から錦糸堀経由葛西橋行きの「29番」、最後の「41番」は巣鴨車庫前から志村橋行きなど、全部で41系統あった。当時の小学生どもは、都電に乗ってかなり遠くまで遊びに行く子もいたが、それでも住居地のまわりしか都電の運行状況を知らないのが普通であった。評者は城南に住んでいたから、「1番・品川〜上野」「3番・品川〜飯田橋」「7番・品川〜四ツ谷三丁目」などにはよく乗った記憶があるが、あまり遠征はしなかったから、都心も神田・上野あたりから下町方面に行く都電のことは、ほとんどなにも知らなかった。ところで戦前は「市電」であったが、戦中の昭和18年に「東京都」に変わって、それで「都電」になった。ついでながら、昔は(運輸省の管轄だったから)「省線」といい、それが国有鉄道の「国電」と変り、さらに民営化にともなって「JR」となったのはご承知のとおりだが、地下鉄も「営団地下鉄」が最近「東京メトロ」に衣替えしたようだ。(そういえば「JR」といっしょにできた「E電」というのはどうなったのかな?)日本という国は、実質的にはなにも変わらないのに、役人が名前だけをくるくる変えて、庶民に責任を押し付けて喜ぶ人種であると、つくづく思う。これがムダな努力でなくてなんであろう。
【ひとこと】
 評者は小学校一年生に入学のときから低学年の間、当時にしては珍しく自宅から学校まで電車通学をした。大井町から省線に乗って品川で降りて、駅前の市電の停留所から7番の四ツ谷三丁目行きに乗って天現寺橋で降りる。品川駅の詰所で憲兵さんにピストルを見せてもらったことや、下校のときその天現寺橋の停留所で、線路の上に五寸釘を置いて、市電が通り過ぎてからぺしゃんこになったのを拾い、友達と「ネッキ」と呼んでいた地面に釘を投げ差して、相手の釘が倒れれば自分のものになるという遊びをしたことなど、昨日のことのように覚えている。市電のなかからぼんやりと外を見ていたら、ちょうど忠臣蔵泉岳寺の停留所のところであったが、車道と歩道の段差に沿ってネズミがつつつと走り、あっと思う間に空からトンビが飛んできてそのネズミをさらって飛び去ったこと。また天現寺の停留所前に老夫婦でやっている小さな文房具店があって、藤沢から長距離電車通学をしていた同級生が、すきを狙って色粘土のセットを万引きしたこと。台風で天現寺の横を流れている渋谷川が増水してドザエモンが浮かんで、白衣を着た人が川底で検死していたのを悪友どもと並んで橋の上から眺めていたことなど、小学校のときのことなのに、古稀を越したいまでも鮮明に覚えていることはたくさんある。
【それはさておき】
 戦後猛然たるモータリゼーションの波が日本を襲い、道の真ん中をゆるゆる走る都電はくるまの交通のジャマだというので、東京オリンピックを機に一斉に廃止になった。それから環境問題が重大問題化し、大気や河川の汚染がひどくなり、日本は規制を強めて現在に至る。いまにしてみれば、排気も出さず、線路の上をひたすら走るだけの都電を利用すれば、環境もよほどよくなると思うのだが、それもこう思い切りよく廃止してしまえば、なにをいまさら、ということになるのだろう。じっさいこの地図を見ると、都内を縦横に結ぶ都電を使えばよほど便利であった。この便利な都電を廃止して、その結果笑ったのは高級車を乗り回す政治家や高級官僚や、企業家たちだけだろう。庶民は都電を取り上げられ、代りに建設された地下鉄に乗るために、時としては延々と階段を地下50メートルまでも昇り降りし、若者だけでなく「後期」高齢者もそのくびきから逃れるすべもなく、東京は忙しいだけの人間が集まってそそくさと住むところとなった。
【蛇足】
 本書にでている「新東京観光百選地」なるものを、下記にリストにして示す。この地図が昭和30年(一九五五)に出版されたものとして、平成20年(二〇〇八)のいまいくつ残り得るか、その後の東京の変遷を考慮して、想像をたくましくするのもまた一興であろう。
千代田区日比谷公園皇居前広場靖国神社
中央区>銀座通、浜離宮庭園、かちどき橋。
<港区>泉岳寺芝公園
<新宿区>新宿御苑神宮外苑
<文京区>後楽園、東京大学、植物園、湯島天神
台東区浅草公園待乳山聖天
墨田区>震災記念堂、墨田公園、向島百花園
江東区>富岡八幡、深川成田山、仙気稲荷。
<品川区>戸越公園
<目黒区>目黒不動、祐天寺、碑文谷公園。
大田区池上本門寺多摩川園、丸子玉川。
<世田谷区>等々力渓谷、蘆花公園、砧緑地、豪徳寺二子玉川
<渋谷区>明治神宮、渋谷駅前広場。
<中野区>哲学堂新井薬師
<杉並区>大宮公園妙法寺善福寺池
<豊島区>鬼子母神とげぬき地蔵池袋駅前。
<北区>飛鳥山、王子稲荷、名主の滝。
荒川区荒川遊園地、諏訪台、すさのを神社。
板橋区>戸田橋、志村一里塚。
練馬区石神井公園、豊島園。
<足立区>西新井大師、千住新橋、あみだ寺。
葛飾区>柴又帝釈天水元水郷。
江戸川区>江戸川風致区。
北多摩郡>小平霊園、大国魂神社、村山山口貯水池、多摩霊園。
武蔵野市井の頭公園玉川上水堤。
南多摩郡>高尾山、多摩御陵、矢口弁天洞、高幡不動
西多摩郡秋川渓谷、三頭山、日原鍾乳洞、小河内。
江戸の香りもいまは昔。つわものどもの夢の跡。名所旧跡・天然自然から人工へ。□