tokyokidの書評・論評・日記

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書評・六法全書

tokyokid2007-12-24

書評・六法全書
★ 小六法・昭和64年版・有斐閣(編集代表・星野英一松尾浩也塩野宏

六法全書とは】
 日本は法治国家とされる。その国家の法律の源となる六法律典つまり「憲法」「民法」「刑法」「商法」「民事訴訟法」「刑事訴訟法」を書いた本。実際にこの書評の底本とした「小六法」の目次は「公法(憲法他を含む)」「民事法(民法・商法・民事訴訟法他を含む)」「刑事法(刑法・刑事訴訟法他を含む)」の3部に大分類されている。加えて「社会・経済法(労働基準法銀行法・保険法他を含む)」と「条約(国際連合憲章及び国際司法裁判所規程・条約法に関するウィーン条約・世界人権宣言・カイロ宣言ポツダム宣言他を含む)」の2部が続いて記載され、全部で5部の編成である。
【あるべきよう】
 本当は一冊の「六法全書」で、全部の法律がいちどきに参照できることが望ましいのだろうが、それでは大部になってしまうので、各出版社からは毎年「xx年版」として、新版が発行される。法律は年々歳々増え続けるので、この書評の底本となった「小六法」では、次の3点を基本方針として新年版を編集しているという。その3方針とは?年々増え続ける多数の法令のなかから当「小六法」に記載するのが適当な内容のものを選択すること、?法令集の生命ともいうべき法令の正確さを確保すること、?法令の検索の便を図ること、であるという。たしかにこれはあるべき立法全書の姿であろう。
【使ってみれば】 
 日本を含めて民主主義国家は、「立法=国会」「司法=裁判所」「行政=行政府」の3機関が分立して国を法治すること、義務教育の過程で学校の社会科で教える通りである。法律はその基となる。国の立法に携わる国会議員や、司法の専門家である裁判官や弁護士が日常それぞれの活動の基準として参照するのが「六法全書」であろう。これらの専門家とは別に、法律の専門家ではない評者のようないわば「素人」が日常経験するいろいろな場面に応じて「法律」を参照する際にも「六法全書」は必要なのである。素人には、使う「六法全書」が法律に関して細大漏らさず記載してある必要はなくむしろ要点がわかればいい、という場合が多いので、そのような場合には、むしろ要点だけを要領よく収録してある「小」六法全書がその用をうまく足してくれる場合が多い。そのような要点向き、参照向きの六法全書のひとつが、底本としたこの「小六法」なのである。本書の出版社である「有斐閣」はつとに法律関係書の出版元として経験も実績も積んでおり、本書の「はしがき」にも「有斐閣では六法編集室を設け、常時法令の変遷を丹念に跡づけている」との記述がある。本書を実際に使ってみれば、評者のような「法律の素人」には、「小さい」が「使いやすい」六法全書であり、大変便利な六法全書であるということができる。
【それはさておき】
 法律とはもともとひとりひとりの人間が、他の人間に係る部分の行動を律する「最小限度の」指針である、と評者は思っている。つまり「法律は人間の最大限許容される行動の基準を示している」とは思っていないのだ。でも汚職問題などで国会に喚問される政治家や官僚などが、自分の行動は「法律には抵触していない」と胸を張るのを見ることは、あまり快いものではない。「万物の霊長」といわれる「人間」が、法律に触れる行動をしなければそれでよい、という考えでは、その人の思想はあまりにも貧困ではないか、と思ってしまうわけだ。その程度の人間が、国の最高議決機関や執行機関の一員であること自体に疑問を感じてしまう。かつて日本の首相は、アフリカ系アメリカ人知能指数を云々して物議を醸したが、この人は日本国民の民度にこそ言及すべきではなかったか。この書評の読者諸賢は、その点をどのようにお考えであろうか。□